*母の記録*

 

2015年9月21日

<day+467>

吐き気がすごいと深夜のラインです。今日は祭日で面会も早くからできるため主人と早めにいくと寝ていました。

廊下で主治医と会い肝臓の事をきくと、肝臓はそこまで悪くはない。

今起こっている吐き気のせいで体力が消耗し倦怠感があるのだろうということでした。

肝臓とは別と考えている、脂肪肝のため今も調整しているし、またエコーをとります。

そして今日から『EPLカプセル』とういう脂肪肝の薬が追加になりました。

夜また顎の発作が起きました。息子が主人には見せたくないというので、先に帰ってもらいました。

この発作が起きるとすぐに『コンスタン』という安定剤を飲むようになりました。

看護師は発作が治まるまで息子の手を握ってくれています。

息子はやばい状態だと思えば思うほど発作がおきると話していました。

 

2015年9月22日

<day+468>

6時、右の股関節が痛くなり、ロキソニンをもらったそうです。

今日は祝日で当直の先生が念のためとレントゲンをとり、折れていないことを確認。

 

2015年9月24日

<day+470>

今日は1日しゃべらない。いつものトランプもなし。モンハンをやっています。

飲んでは吐くの繰り返し。熱は37度2分、CRPは6.06まで

上がっていて、いつもファーストシンの点滴が始まりました。

 

2015年9月25日

<day+471>

朝から腹部超音波検査。

夕方高校の友人が面会に来てくれました。

 

 

 

 

*僕の記憶*

 

 

僕はいつも知らないもののことを何かしら決めつけ、

実際に触れた時にその手触りの落差に愕然とする

ということを繰り返してきたのだと思う。

 

 

発作って言葉は、

結構日常的に用いられるものだと思う。

それこそゲーマー界隈の使う「人権ない」って言葉と同じように、

実際のヤバさよりずっと平易で、汎化された言葉として、

広がってしまった面があると思う。

何かを突然欲しくなることを、発作的と言ったり、

突然怒り始める人を見て発作が起きたと言ってみたり。

でも実際、

 

 

発作は、本当に自分の力ではどうにもならない。

本当に追い詰められる出来事。

 

しかも発作には、すごく悪い特徴がある。

初めて発作が起こり、何度かそれが続いてから、それを発作だと認識すると、

今度は次にまた発作が来るのではないかという不安に晒される。

その不安感がまた、発作を引き起こしやすくするのだ

この上なくよくできた悪循環だ。

 

 

この頃になると、僕は発作が起こる予兆みたいなものを捉えられるようになっていた。予兆というのは、まあ起こる確率が五分五分くらいの予報だ。

ちょっと顎が浮ついたような感覚になって、「あ、これやばい」と思っても、そのまま何もなく過ごせる時もある。

でも大抵、やばいと思ったら、不安に陥り、その不安がまた発作を起こす助けになってしまうのだ。

一度発作が起きたら、僕はなんとか顎の動きを止めようとする。

でも筋肉が痙攣して、勝手に奥歯が頬を抉り続ける。大抵は下顎が左にずれて左の頬を削ったが、それを止めようとして反対側に力を入れると、顎は反対側にずれて右の頬を削った。

僕は自分の手を顔に当てて、なんとか顎の動きを止めようとする。

でも力を加えれば加えるほど、僕は発作の渦中にいるということに自覚的になってしまって、悪化するのだ。

 

 

僕の場合、顎の発作という、説明しにくいものだったこともまた

医師や看護師を大いに混乱させたのだと思う。

事実、

顔馴染みの看護師以外の人が担当になった時、説明することがすごく難しかった。

だからiCloudメモにまとめて、何が起こるか、起こったら何をしてほしいかを、僕はメモしていた。

起こったら、薬を飲む。

その薬も、即効性で必ず効いてくれるということはない。薬の力を借り、自力で発作が治るのを待つというのが正しい気がする。

 

 

今回はここまでにする。

発作についてはまた話すと思う。

それぐらいこれはどうしようもないことで、

痛みと疲労の伴う、

きついことだった。