*母の記録*
2015年6月17日
<day+371>
毎朝病院に向かうたびに夜中モルヒネのフラッシュをしていませんようにと祈るのですが、昨日の夜から朝にかけて6回もフラッシュをしていました。
食事を摂らないのが当たり前になっているので、イメージトレーニングもかね、
お昼だけ病院の低残渣食を頼んでみることに。
重湯はどうしてもいやだというので、今日は食パンに消化のよいささみのおかず。
パンにどうしてもチーズをのせたいと言い、だめだというのにいう事を聞きません。
主治医に相談すると、少し困った顔をしていましたが、前に進まないといけないし、1枚も食べられないだろうからと許可をくださいました。4分の1だけにさせてお膳を下げてもらいました。
味覚障害もあり以前はおかずの匂いだけでも吐いていましたが、味がわかると言って本人は喜んでいました。
しかしその後、結局全部吐いてしまいました。
2015年6月18日
<day+372>
心配で早めに病室に行くと深夜のフラッシュも6回とモルヒネの量も増えていました。
10時部長回診で息子はどうなりますか? と聞いてみると、自分の患者で腸のダメージで1年半かかったケースがあること。ただ狭窄が今後どうなっていくかわからないと言われました。
主治医に移植1年のマルクの結果、完全寛解を告げられ、食べられないけれどそれはやはりうれしかった。
昼の配膳は手をつけず寝ていた息子が、突然起きて一気に吐きました。
すっきりしたと言った後トイレに座るのですが、便がでない。
すぐにネットで調べるとイレウスの可能性と書いてあるのをみて、昨日のパンにチーズのせいだと、『詰まったんだ、どうしよう』と声を出してしまいました。息子は驚いた顔をしていました。不安にさせてはいけないのですが、昨日止めらなかったことが悔やまれます。
主治医が来て、多分詰まっているのでしょうと、急遽レントゲンと造影剤を使ったCT検査。小腸の炎症が悪化してイレウスに近い状態になっている。
絶飲食で、鼻からチューブを入れて溜まった液を吸い上げる処置。鼻からのチューブは絶対いやだという息子に主治医は腸が腐ってしまうよと言うと、息子は先生を睨み付けていました。
これで食べ物は通らないという事がわかり、本当の絶望を知りました。
2015年6月20日
<day+374>
あれから便も出ておりイレウスも軽くすんだようで、鼻から入れているチューブを抜いてほしいと看護師に頼んでいました。
なんとか許可が下り鼻もすっきりして夜からは内服も開始となり、水とお茶はOKとなりました。
今回のことで低残渣食は無理なことがわかったので、また液体で栄養をとっていきましょうと主治医に言われ、息子は無言で聞いていました。
*僕の記憶*
全ての光の周りには影があって、
全ての温かさの後には冷たさがあって、
全ての祈りは呪いになる可能性を秘めている。
この頃、僕はよく次のようなことを考えていた。
もう一度食べることができるようになるなら、それ以外の何を、どこまで差し出せるだろうか、って。
ランプの魔人みたいなのが現れて、僕に
腸を治すための代償を求めたとするなら
何を支払えるだろう、って。
指一本なら、簡単に差し出したいと思う。
二本ならどうか。三本なら。
確実に治るのなら、指三本までは出せると思った。
指は文字をタイプするのに必要だけど、
左手の小指はほとんど使っていないし、左手の親指も使っていないし、右手の薬指もほとんど使っていない。本当は使ったほうが効率がいいのだけど、僕の手がそうするように覚えてしまったから、今更矯正することができないのだ。
だから、指三本までなら、大丈夫。
足だったらどうだろう。
もとよりこの、むくみのせいで腐ったようになった足なら、左足一本くらいは支払ってもいい気がした。
だったら目は? 耳は?
味覚までちゃんと取り戻すには、もっと代償が必要?
そんな、出来もしないことを考えては、出来もしない現実を見て、落胆していた。
そして、周りの助言に耳を傾けず、
無理をしてチーズを食べたその日。
自分の体を良くするために挑戦をしたいと思って、
でもその挑戦をするとより体が悪くなるということを思い知らされた。
希望が完全に断たれるというのは、
こういうことなのかと、
やっとわかった気がする。