今日は担当編集という生物ついて書いていこうと思います。
またお前暴露系かよと思った方、安心してくれ。なぜなら僕は全ての担当編集と仲がいいから。
ちょっと長めになると思うので分割するつもりだ〜。
(担当編集:ヒト族、ホモサピエンス、編集職)
まずさ「担当がつく」ってだけでワナビ的には憧れがあると思う。
担当がつくと何がいいかって、なんかぐらぐら感が減るんだよな。もう本当にこれに尽きる。あとたまにご飯を奢ってもらえるけど、それはご飯自体を楽しんでるっていうより、「社会との接続」を感じられるっていう魅力なんだよな僕にとっては。
作家ってマジでインキャな仕事なので、担当編集との人間関係が最後の砦みたいなところがある。僕はその最後の砦の手前に幾つかの掘を設けてて、その外苑に位置するのだ大学のつながりだと思っているけれど、なんかまあその「最後の砦」があるだけで安心感は結構あると思う。
そのほかにも『もちろん』小説を読んでくれるとか意見をくれるとかはあるんだけど、そこに重きを置きすぎるのは「無駄」だと途中で気づく。結局担当を頼りすぎても核心のアイデアを言ってくれるわけじゃないし、実作するのは自分なので、そして多くの編集者がその距離感をきっちりと守っているものと思う。
まあでもさ、それはあらゆる人間関係において言えることだよな。
依存してしまったらタイヘンというのは、生徒と教師、先輩と後輩、恋人、なんでも言えることで。繰り返される人類史の中でずっと前に答えが出てることだ。
その上で、担当編集と仲がいいことがめっちゃ大事だと僕は思う。
デビューしたての頃、同大学卒のある先輩作家と会った時に「担当編集にフレンドリーファイアするラノベ作家エンド」というものを聞いた。
ラノベ業界というのは(割と知られたことかもしれないが)一巻の売り上げで続刊の有無が決まるというガチでシビアな世界で、(続刊が前提のような話で)続刊できないと「別作品の企画書を書いて編集会議を通す」というルートに入る。
編集会議は担当編集より上位の存在なので、担当編集は「一緒に頑張っていきましょう」みたいなスタンスを作家に取るものなのだけど、そこで「編集会議を通らないのは担当のせいだ」みたいな思考に陥ってフレンドリーファイアを起こす人がたまにいるらしく、そういうメンタルの人は大変だよね、という話をその先輩から聞いたのだった。
え、なにそれ
こっわ
いや怖いわ〜
新人めっちゃ脅すやん〜(脅すつもりは全くなかったと思う)
と思ったけど、そりゃそうだよな。漫画「重版出来」はリアルだってってことか……。
担当に出会う前の僕の担当編集観は、「ギャグ漫画日和」のワンエピソードで、担当編集をジョジョのスタンドみたいに使ってバトルする、みたいな話があって完全にそれだと思っていたが、
事実それだった。
特に新人作家は、自分には担当編集がついているんだ、という謎の自信によって自己を奮い立たせている場合が多いと思う。大っぴらに自慢しないだけで。
ギャグ漫画日和は実に批評的な漫画だったってわけか。
僕はKADOKAWA、早川書房、小学館の某漫画部署、小説すばる、一迅社などに担当がいて性別は男性2人女性3人、全員と仲がいい。女性の方が年齢は比較的若く、早川の担当が一番ベテラン感がある。二社からデビューした人間に、なぜこの数の付き合いがあるかというと、Twitterのdmとかで仕事の話を貰って、以後関係構築という感じ。この書き方なんかきしょいな。とにかくSNSのdmは解放しといた方がいいよという話。いや違うか。
連絡手段は意外にもほとんどLINEで、たまに重要なやつだけMailで来る感じ。重要なというのは出版の際の契約の話とか。
よく喫茶店で次回作とかの話をするというのがあるが、これも事実。そして面白いことに面白いほど全ての編集者がご飯の美味しい店とおしゃんの喫茶店のありかを知っている。そのスキル就活の時に問われたんかと思えるぐらい。何か行きたい店ありますか? と聞いてくださって何言っても対応してくるのを見ると、この人たちはデートや友人関係の上でその技能を利用されてきたんだろうなと、うっすら思う。
当然のことながら小説とエンタメと芸能について鬼詳しいし東京の地理に精通している。僕が普段吸ってる「東京感」って編集者の吐いた息のことだと思う。
いやこの記事おもろ。
おもろいことが書けてると思うので引き伸ばそうと思う。
次回へ続く。