*母の記録*
2015年1月1日
<day+204>
元旦朝7時からステロイド点滴
1日3回ファーストシンの点滴
2時間かけてアンビゾーム点滴
胸部レントゲン撮影
吐き気がひどくノバミンの点滴も日常でした。
元旦で母と姉がお年玉を持って来てくれましたが笑顔はありません。
2015年1月2日
<day+205>
3回目の顆粒球吸着療法
毎日毎日続く咳と嘔吐
このころの下痢の量は1日約1ℓ
2015年1月5日
<day+208>
今日で抗生剤の点滴は終了。
久しぶりの主治医です。
CT検査で肺炎は良くなってきているそうです。
息子は吐き気が辛すぎることと、精神的にきついことなど主治医に相談していました。
精神科の先生に来てもらうように手配するねと言って帰られました。
2015年1月6日
<day+209>
顆粒球吸着療法4回目
今回首からIVHを入れているためシャワーには行けず週2回洗髪をしてもらっていました。
2015年1月7日
<day+210>
夕方精神科の先生が見えました。
以前は血液内科医だった先生は、移植の大変さは良く分かっていると言って19歳でよく頑張っているねと息子に優しく話してくれていました。
鬱状態改善のためジプレキサを頓服として処方され、あとは寝る前にメイラックス、それでも眠れない時はさらにユーロジンを飲んでもよいとのことでした。
*僕の記憶*
髪を洗ってもらった。
別に今日が初めてってことは全然ないのだけど、
でも洗ってもらっていると、また髪が生えてきたんだなぁということを実感する。
ふと、
抗がん剤治療をしていた頃が懐かしいと思い、そう思ったことが滑稽だった。
だって「抗がん剤治療が懐かしい」なんてことを思うのは、大抵が退院したやつでしょ……?
僕はまだ病院にいて、
しかも抗がん剤治療をしていた頃よりも状況が悪くなってる。
ところで、なんか精神科医が来るらしい。
でも僕は精神科医のことなんて全く信頼しちゃいなかったし、期待もしていなかった。
僕はきっと精神科医に、お前には何もできないんだろといいたいがために、精神科医と話すことを望んだのだと思う。
体の苦痛は、言葉なんかじゃ救えないから、と
そう考えていたのだと思う。