*母の記録*

 

2014年12月12日

<day+184>

今日でエンブレル皮下注射が終わります。

そして4回目の大腸内視鏡検査。

ベッドごと運ばれていく息子に続き検査前で終わるのを待っていました。

検査が始まってすぐに主治医が出てきたので聞いてみると、S状結腸から先に狭窄がありスコープが先へ進めず

見ることができなかったそうです。ショックでした。

肺炎も悪くなってきているのでこの先何が起こるかによるが、

今を乗り切れるかどうか?

初めて主治医から聞く厳しい話でした。

狭窄という言葉をすぐに調べました。

とても怖くなりました。

 

2014年12月15日

<day+187>

この日主人と私は主治医から呼ばれ、師長同席の元で話がありました。

話の中で一番ショックだったのは狭窄は自然に治るものではないので、今を乗り切れたとして食事を再開するには外科的な手術をしなければ食べることができない。

それよりも今は肺炎の薬の影響で肝臓、腎臓にダメージを受けているのでこれをクリアしなければならない。

 

夜中息子が、俺もうやっていけないかもしれんと言いました。

励ます言葉はありませんでした。

 

2014年12月22日

<day+194>

5回目の大腸内視鏡検査と造影剤を使ったCT検査

横行結腸から下行結腸の広範囲で高度の狭窄あり

カメラが入った部分の炎症は治まっているようだが、狭窄部分が長すぎて先へは進めなかったので炎症の程度は

わからないが、ただ炎症はまだあると考えるのが普通であり、その炎症をどうやって治すのか?

病理像は潰瘍性大腸炎に類似していて、最後の治療として顆粒球吸着療法というのを

試すために国に認めてもらうための手続きを進めていますとの説明でした。

今の状態は「腸の炎症による腸管の狭窄」

ステロイドが効かず今まで様々な治療を試してきました。

主治医から出た最後の治療という言葉が重く、もしこの治療でも効果がでなければ息子はどうなるのだろうと

主人と話したのを忘れることはできません。

 

クリスマスにフェイスブックに載せた写真

 

*僕の記憶*

 

 

お尻の穴からカメラを突っ込むのは苦痛が大きすぎるから、

近頃は麻酔を打ってもらってもらうことにしている。

麻酔は嫌いじゃない。

落ちていく時、意識を手放すあの感じ。

眠っているうちに全部が終わっていて、こんなに楽なことはない。

 

僕は自分の状況について、医師からの話をあんまり聞いていなかった。

両親も僕のことを察して、細々としたことを口に出さないようにしてくれていた。

ありがたかった。

知っていたって、意味がないことは多い。

それがどういう治療だろうと、どうせ僕はそれを受ける。現状が最低だから、それを変える希望があるなら必ずやる。ただ機械的にそうするだけだ。

 

どういう言葉を使ったかは覚えていないけれど、夜に母親に、もうやっていけないかもとこぼしたことだけは覚えている。

押し殺すような母の顔を見て、いい知らせがないってことだけは知ることができる。

その情報だけでもう十分だ。