*母の記録*
2014年11月9日
<day+151>
今日は佐藤君と小出君が2人で会いに来てくれました。
そして私にも看護師の友人が好物のおはぎをもって会いに来てくれました。
この病院で長く看護師をしていた彼女は血液内科でも働いていて、私と息子を
支え続けてくれました。
入院してすぐに精子保存をしなさいと教えてくれたのも彼女でした。
2014年11月10日
<day+152>
今日でシプロキサン点滴終了
今回のばい菌は治まったようで、皮下注射をまた続けることになりました。
2014年11月13日
<day+155>
主治医と相談して今日から重湯を開始することになりましたが、息子は重湯が嫌いです。
蓋を開けた瞬間無理だと言ってスープを少しとヨーグルトを4口だけ口にしましたが、食べられる気がしないと言ってまたストップとなりました。
腸を少しでも動かさなければ、腸に少しでも栄養をと思うのですが、何も進まず不安だけがどんどん大きくなっていきます。
2014年11月19日
<day+161>
朝の検温でまた熱が出ました。38度。
ばい菌が治まって先日から仕切り直して皮下注射が始まった矢先です。ただCRPはそんなに高くないので治療は続けていきますと、抗生剤の点滴が始まりました。
*僕の記憶*
病気になった時、僕はぼんやりと次のようなことを考えていた。
もし全然お見舞いが来なかったらどうしよう。
もし誰も僕が病んだことを悲しんでくれなかったらどうしよう。
幸い、そんなしょうもないことを考える暇もなく、抗がん剤やら移植やらが始まって、僕はここまで運ばれてきたのだけど、
全く考えないわけじゃなかった。
お見舞って、呼んで「来てもらう」ものじゃない。
僕のことを「憐れみにきてって」って誰かに乞うものじゃない。
でも、事実として、お見舞いは誰かの時間をもらうことで、そしてお見舞いの人数が増えたからって僕の体調が向上するわけでは全然ない。
高校の頃、僕は斜に構えたウザいやつで、友達も多くないと思っていた。
でも病気になって気づいたのは、案外、友達がいるってことだ。
きっと友達が多くないと思っているということ自体がある種のバリアーで、自分は誰にも大事にされていないのだから誰のことも大事じゃないと、思っていられるような、そういう精神状態を作っていたのだと思う。
だって、誰かに大事に思われることはこそばゆいじゃないか。
でも、そういう、こそばゆいと思っていたものに救われている自分がいる。
自分が重要じゃないと思っていることこそ、人生にとって大事なことだったというのは、経験上本当によくあることだ。
「友達」というものも、僕にとってはそういうものだったらしい。
それぐらい自分に対する理解度が低くて、それだから、人が普通に交わし合っている心の通貨みたいなものがあんまり実感がない。
友達は他人で、自分の痛みを肩代わりしてくれる存在じゃない。
治療の苦痛のつらさをこと細かに話せるけど、寄りかかっていい存在じゃない。
だけど、来てくれてありがとう。
思うことはそれだけだ。