日芸の文芸学科には各学年にゼミがあり、全ての学年でゼミ誌の実作(四年次のみ卒制・卒論の作成)という大枠の課題が課せられる。

そのメインの目的以外で日々どういう授業をするかはゼミを受け持つ講師によって変わってくるんだが、僕の属していた(なんならまだ属している)青木敬士ゼミは三題噺とか合評とかをやる。

三題噺というのは、たとえば「海」「ロボット」「怪獣」という三つのワードが与えられ、その三つを登場させる短編小説を書くというものだ。(このワードだとどう考えてもパシフィック・リムだが)

1年生が参加する青木Ⅰゼミではほぼ必ず手慣らしに行われるが、2年、3年でも最初はゼミの顔合わせも兼ねてこういう短期型の実作が行われるものだ。

 

僕が青木ゼミに参加したのは3年時からだけど、

そのときも確かに行われた。

青木敬士ゼミは1から4年まであるため、

3年から入ってきた僕は、2年から引き継がれる結束みたいなものに割り込む形になった。

けどまあ、そもそも1年の時からの知り合いとかも多くて、

それは全然苦にならなかった。

 

それで、どういうお題だったかはもう思い出せないんだけど、

なんか短編を作ってこいという話になって、

僕も一応持ってって出したんですよね。

ボコボコにされました。

いや、なんだろうな、なんか異様に僕だけ批評の目が細かくて

実際面白くないものを書いてしまったんでどうしようもないんですけど、

なんか青木先生、いきいきとボコしてくるのよね。

でさ、それを当時一緒に作家目指してた友達が

「いやミヤタ(僕の本名)はいいよな、青木先生と信頼関係築いるから深いところまで言ってもらえて」みたいなことを言ってる。

なるほど?

二年までの僕は青木追尾装置だったし、今も青木先生のことは頼りにしている。けど、ちょっと、ぐっ……なんかパンチ力……強くない????

 

みたいなことがあって、

あんまりゼミに行かなくなりました。w

ゼミに行かず何をしていたかというと、長編を書いていた。その時書いたものは暮らしの小説大賞に応募して見事轟沈したが、3年の終わりに書いたのが「きみは雪をみることができない」だった。

そんなことで病むの?と思うかもしれないが

人間なんて案外そんなもんだよ!

 

今冷静に考えれば、青木先生も、全ての人に同じ深度で話をしているわけでは決してない。レベルに合わせて使う言葉とか言い方がある。使い分けていないわけがないのに、なかなか言われる側としては踏ん切りがつかないもの。

でもそれは必要なことだったと今では思う。

受賞したからっていう、結果論だけど。

 

 

何が言いたいかというと、

教師とか信頼している先輩の意見は、絶対的な神託にさえ思えるけれど、

全然そんなことはないということ

だから気にしすぎなくてもいいねっていう話。

 

 

また別の記事で

「信託」に突き放されたと感じ、先生を憎むようになった学生の話そっと。