よく聞かれるので、
これもさっさと記事にしないとなと思っていた。
結論から言うと
「足が遅かったから」
だと思う。
しかしこれはあまりに結論的すぎるので、もう少し深度を落とすと、
「絵が描けなかったから」
とかになるだろう。
これもともすれば極論なので、さらに上澄みだけを掬い取ると、
「英語が嫌いだったから」
ということになる。
えっ、
一個もポジティブな感情ないじゃん……
と、
自分でも書いて清々しくなる。
一番表面的なところから触れていこう。
まず思い出すのは、受験期だ。
これについてもいずれ詳しく後述するけど、一言で言うと本当にクソみたいな時代だ
った。僕の人生の中で最も主体性がなく、最も欺瞞に満ちた時間を過ごした、暗黒の時間。
僕は地元ではわりと有名な進学校に通っていたので、成績にプライドを抱くことが正常なのだけど、僕はねじれていたので、勉強せず創作ばかりしていた。
受験は、多くの日本人が最初に社会への適応を試される場面だと思う。僕は適応しきれない訳ではなかったけど、他国の言語を覚えさせられることに苛立ちがあった。それに暗記も死ぬほど嫌いだ。
もし受験が、純粋に想像力と論理的思考力を試される場だったなら、もっと頑張っていたかもしれない。でも、日本の「受験制度」ってそうじゃないよね?
というわけで、勉強から逃げるために創作をしていた。
これだけで十分説明になっている。
しかし、性格の悪いやつらはさらに訊いてくる。(ダルい面接官とか)
なんで小説なんですか。
絵じゃダメだったんですか、って。
うるせ〜よ
と内心で思いつつも、僕は答える。
絵じゃダメだった。というか、絵がダメだった。絵が描けなかった。から。
それが創作の中でも小説をやっている正直な理由だ。
だって僕、別に小説を読むことが好きなわけじゃ、全然なかったしな。創作が好きだった。インプットよりアウトプットがしたかった。漫画みたいなものを描ければどれだけ素晴らしいかと考えたことは何度もある。そのつど、ちょっとだけ絵の練習をしてみよう、と思ってきた。幾度も。そしてそのたびに面倒になってやめてきた。
本当にクズみたいなことを言ってしまうけど、
僕は練習というものがマジで嫌いです。
だから楽器も弾けない。英単語も覚えられない。
圧倒的自堕落。
でも、小説を書くことを『練習』と思ったことは一度もないんだよな。本を読むことを訓練だとは思っているけど。
これで大抵の面接官は黙るでしょ?
それでもまだ抉ってくるやつがいるとしたらそれはもう害意を振り翳している人間でしかないでしょ。
ところが、これじゃあ僕が納得いかないのだ。
そもそもなんで創作が好きなんだよ、
って自問する。
そうすると、必然的に小学校まで遡る。覚えている最古の記憶。自分の「物心」の輪郭のような情報。
僕はもともと目立ちたがり屋の「ひょうきんもの」だった。目立ちたいという欲求が、細分化不可能な渇望として、自我を持った時からずっとある。その手段が何かとなった時、一番近いものとして、人間にはまず「体」が存在する。
つまり「かけっこ」だ。
自分の体を使って、他人に勝つ。すごくプリミティブな欲求の充足方法。でも僕にはそれができなかった。目立つために別の方法を探さなくちゃいけない。「ひょうきんもの」だと言われることは嬉しかったけど、何かが違った。僕を見てほしいというより、僕から出たものを見てほしいという感覚が強かった。
創作は自分が特別な存在だと錯覚できるから、好きだったんだと思う。
肉体への失望が、知性に望みを託させた。
社会が知性の形を狭苦しく規定するから、さらに想像力へと進路を変えた。
逃げ続けてここにいるという自覚がある。
もう逃げられないから向き合っている。
っていう感じかな〜!