まずは質問ありがとうございます。
こういう質問もいいですよね。
多分、質問者さんは僕のWikipedia(やけに詳しい。誰が書いたんだよあれ)とかを見て、経歴を知ったのでしょうね。ええはい。僕は確かに私立東海中学校・高校という、名古屋の名門的なところに通っておりましたよ。
男子校。オタクしかいなかった麗しい地獄の日々。友達は医者の息子ばっかり。髪染めるだけで学校辞めさせられる超規律。フツーに暴力振るってくる体育教師……。
懐かし〜♪
ただ、そこを深掘りしても解答にはならないので、むしろ東海に入る前までの自分を掘り起こす必要がありそうですね。
じゃあ僕はどういう小学生だったかというと、目立ちたがりで、かつ足が遅かったです。
全ては、足が遅いことから始まった。
足が遅いけど目立ちたいので、フィジカル以外で目立つ方法を考えました。その時手札にあったのは「独創性の卵となる何か」と、「塾に通っているという優位さ」でした。
なんだろうな。賢かったんだろうな、その頃は。
でも幼年期の地頭の良さって、かなり生得的なものなので、親の力ではどうしようもない面もあると思います。
そして重要なのは、幼年期に賢かったからと言って、勉強熱心な人間に育つというわけではないこと!
僕がそうです!
ヘイカモン!
受験勉強を始めたのは小3とか小4だった気がします。あんま覚えてません。
僕は自分から勉強したいと言ったことは全然なくて、全て親の意思で塾に通わされていました。
その通わされていたという意識は東海中学に入ってから反転し、全く勉強をしなくなりました。
自分を保つための二つのカードのうちの一つ「学問的な賢さ」を失った僕は、どんどん「独創性の強化」の方に舵を切っていって、学年を経るごとに、文章書くこと以外何もしなくなっていきました。
で、すでにもうこの段階で質問には答えていると思うのですが、
ここからは個人的な考えを述べさせてください。
子供を操ることはできない。
できません。
そもそも日本が国威発揚的な「大きな文脈」を失ってから、子供の未来をジェネレートするという行為自体が、正当性を失い続けています。
さりとて……子供が勉強しなかったら不安になるやろ……?
と言われると、そうかもしれない、と僕は思ってしまう。
思ってしまうけれど、そこはリベラルな人と結婚して、一緒に考えていきたいと思っています。(いや知らねーよ)
そもそも、子育てもしたことのねーやつが何を意見してるんだと思われるかもしれません。いやマジで僕もなんで意見してるのかわからない。
けれど、僕の通っている大学には、親の過保護な教育や、子の意思を無視するような決めつけによって、今もなお苦しめられている学生が驚くほど多くいて、
そういう友達から僕はよく話を聞かせてもらってます。
「毒親」という言葉が、学食でランチしているときに頭上を飛び交ってます。
僕よりも下の世代(今の20前後)って、そういう世代なのだな、と。
薬は、量を間違えると毒になるじゃないですか。
だから、子供が勉強しない状態に危機感を持つのはいいですけど、それを子供の前に表現してはいけないのだろうな、と僕は思います。
なぜなら、反発する子供は僕のように強要された分野に対する自発性を喪失しますし、従属する子供は抑圧を抱え込んで自律神経に不調をきたします。
(という可能性が高い)
だから親ができることって、選択肢を提示して、委ねることだけなんじゃないですかね。
いや、だから親でもねー27歳が何言ってんだって話ですけど。