*母の記録*
2014年1月22日
主治医からは安定したのであと1週間くらいで白血球が上がってきたところで
レントゲンとマルクをして仕切り直し次の治療に入りたいとのことでした。
また看護師からは明日からは通常の面会時間でと言われました。
2014年1月23日
15時 面会時間に行くと、まだお腹が痛いと言うのでシャワー前に痛み止めを入れてもらいました。
リパーゼの数値も上がってきていて心配だと医師に伝えると、原因の薬(ロイナーゼ)は使っていないので
慢性化は考えにくくこのまま食事はステップアップした方がよいとの説明でした。
2014年1月24日
15時 面会時間 お腹はまだ痛いと言って丸くなって寝ています。
膵炎が悪くなっているとは思えないがとりあえず食事はやめておこうと。
2014年1月29日
造影剤を使ったCT検査で膵炎は治まっていると、
この日からまた4人床へ移動となりました。
*僕の記憶*
僕たちは、生きているだけで英雄。
その上治療を再開できたとなれば、それはもう偉業としか言いようがない。
いぜんとして痛みはあったけれど、ひとまず危機を脱したらしい。
一度危険から離れたならば、そこからは、より遠くへ。
ずっと遠くへ。
結局のところ、治療の2クール目は、膵炎というマジヤバな症状の発症によって、尻切れとんぼに終わった。それでも案外、どうにかなったらしい。
先生がいいと言ったのだから、いいってことにしとこう。
マイナスにマイナスをかけてプラスになったみたいに、体に入れる抗がん剤が少なく済んでラッキーぐらいに考えておこう。
どうしてどうにかなったのかとか、何がよくて何が悪かったかとか(いや、少なくとも悪かったのはロイナーゼだけど)を考えている暇はなくて、
そんな暇があるなら僕は小説を書くか音楽を作る。
ともかくーー、また治療へと戻っていける。ああ、「日常」が戻ってきたんだな、という感覚があった。
あれ……。
ちょっと待てよ。
何か変じゃないか?
抗がん剤治療を行う日々が……「日常」?