*母の記録*
2014年1月18日
毎日病室に来てくれた消化器内科の先生から一山超えた、順調ですと。
絶飲だった息子に水とお茶の許可が出ました。
ロイナーゼで膵炎になるのは非常にレアだと、ある看護師が言いました。
薬剤師がくれた薬の説明書に確かにロイナーゼの副作用として急性膵炎と書いてありました。
でもまさか息子に起こるなんて、、、ついてない。
この膵炎が、息子に起こった最初の悲劇です。
💉採決結果
1/18 アミラーゼ 250(基準値54~168) ⤵ リパーゼ363(基準値11〜53)⤵
2014年1月20日
消化器内科の医師から順調で肺に溜まっていた水も抜けたと、食事も重湯から開始してとの許可が出ました。
主治医からは、輸血してもヘモグロビンが増えてこないのが気になると明日も採血と輸血をしますとのことでした。
この日は息子と同じ年の、T君の移植の日。
*僕の記憶*
お茶の許可が出て、死ぬほど嬉しかった。
たくさん飲んではいけないよと注意されながら、グビグビ飲んだことを覚えている。
気がつくと、みんなが僕を褒め称えていた。
よく頑張ったねと、胴上げしかねない勢いだ。
正直なところ、僕は何かを頑張ったというつもりはなかった。
ただ耐えただけ。
けれど「一山超えた」と言われたあたりで、膵炎は「難病」だったのだと聞かされると、途端に自分が偉業を成したような気がしてくる。
母は、本当に災難だったというけれど
実は僕にとっては、
「あのマジヤバな膵炎を乗り越えた」ということが、
闘病を続ける中で一つの自信になっていたように思える。
もちろん、こんなのは、助かったから言えることなのだけど。
今回ばかりは、自分の健闘を誇ろうと思う。
あと、一つだけ言っていい?
重湯はクソまずい。
これ。本当に無理。