これもまとめておきます。どんなくだらないことでもデータに残しておくと後で便利ってジョブズとかが言ってた気がするので。

 

1995年 名古屋市生・サリンやら震災やらの暗黒の年

 

2010年 私立東海高校に入学・と言っても中学からのエスカレータ

 

2011年 私立東海高校文芸部の部長に就任・以後、顧問との対立が続く

 

2013年 私立東海高校卒業・やっと終わった男子校の呪い

 

同年3月  MARCH以上を全落ちで浪人決定・槍でやり直すんだァーーーッ

 

同年10月 急性リンパ性白血病罹患・マジでクソ

 

2014年 臍帯血移植・生臭かった

 

2016年 大腸左半切除&ストーマ増設&撤去など・リアルハラキリ

 

2017年 免許取得・筆記試験がほぼ満点だった派

 

2018年 日本大学芸術学部文芸学科進学・実は5年前にオーキャン行って

 

2020年 新型コロナウイルスが蔓延・ウイルス型の使徒かもしれない

 

2021年 4回生を休学・英断

 

ここからは書いた小説と文字数、経緯などを記していきます。卍は“万字"です。

 

13歳 「消人(けしびと)」2卍・バトル物のケータイ小説。まだガラケーでした。未完。直視に耐えない。なぜか母と叔母に熱烈に褒められる。

 

14歳 「甘き死よ、どうか君に…」2.4卍・記憶が消えてく女の子の話。一度は誰もが書いているであろう病理系。女の子を不幸にさせて泣かせる悪質なやつ。

 

15歳 「カナリアの反乱事件」6.5卍・秘密組織系。勝手に栄田椋都シリーズというものを考え、本筋を書いてないのに書いたスピンオフ。スピンオフじゃない。(たしか)〈電撃小説大賞〉に応募、落選。「バインダー」9.2卍・栄田椋都シリーズ。地獄スピンオフにありがちな栄田椋都は出てこないタイプ。(たしか)電撃小説大賞に応募、落選。

 

16歳 「果樹の少女 The girl of tree The planet of rewrite」17.6卍・一丁前にサブタイつけ始める定期。これは喋る戦闘機と鉢植えを持った女の子のロードノベルです。世界観は今も好きなのですが、書きたいものを詰めすぎて破裂した感があります。どっかに出したけど落選。

 

17歳 「曖昧△MINE」52卍・高校2年生の間ずっと書いてました。最地獄長編。アイマイマインと読ませる、能力バトルジュブナイルです。自宅にあるプリンターとクソでかいステイプラを使い、強引に、辞書みたいな一冊の本にしました。最初の5000文字だけネットに掲載したけど3日で消しました。お分かりの通りこの文字数なので他者を全く意識しない、完全に独りよがりな作品です。しかしこれを読んでくれた猛者が文芸部に一人だけおりました。最高の後輩です。

 

18歳 「相愛◉WAIT」「迷愛×HELP」各3卍、10卍・曖昧のスピンオフ(今度は実体を持つスピンオフ)で、「猶予の恣意者」とか「オッカムの神剃」とか香ばしい用語がたくさん出てきます。受験期間中にやってるってことでお察しです。

 

ーーー白血病罹患ーーー

 

19歳 「果樹の少女Ⅱ   The age of Green Conquest」20卍・負荷生物(ビヨンド)という化け物から森に犯された地球を奪還すべく、戦う強化人間〈ブレイド〉のお話し。SFバトル。(たしか)〈少年ジャンプノベル大賞〉(みたいな名前の賞)に応募した気が。長すぎるのでそこくらいしかなかった。「歌詞集Ⅰ」音楽も作り始めていたので歌詞集も作りました。これらを創作した後、10月に病を知りました。

20歳 「BAMBOO GIRL」「作品A(タイトル非公開)」各14卍、25卍・白血病を理解したことで泥沼の受験から解放され、膨大な執筆時間が得られました。病床でボカロ曲「メテオガール・グッドバイ」を作り、その歌詞をもとにSFジュブナイルのBAMBOO GIRLを執筆。その後文系SFバトルの作品Aも書きます。この二作は、たまたま叔母の知り合いの知り合いにいらっしゃった講談社の編集者(ただし扱う領域はこういう二作とはかけ離れている)に読んでいただき、応援のコメントをいただきました。また後日、たまたま愛知巡業に訪れていた〈文芸社〉営業部の目に留まり、二作をみせたところBAMBOO GIRLを自費出版しては、という話になりました。かくして両親が窓口になり、僕は自費出版における全ての行程を病床で行うことになりました。「歌詞集Ⅱ」これも作っただけです。

 

21歳 なし・それどころではありませんでした。

 

22歳 「作品B」「ライセンス」各14卍、14卍・作品Bは、暗澹の21歳の時に失ったいろんな熱意を取り戻すために、リハビリの思惑があって書いた短編集です。短編集だけど、それらが全部集まって長編になる、みたいな。ライセンスは自動車学校に通っているときに思いついた、自動車擬人化SFバトルです。作品Bは何かに応募した覚えがあります。ライセンスはオチで爆死してお蔵入りさせました。

 

ーーー日芸受験ーーー

 

23歳 「クジラ委員」3卍・飛び込んだ大学。SF小説論という講義の最初の授業で、後の恩師である〈青木敬士教授〉が、雑誌への寄稿を呼びかけます。〈江古田文学〉という日芸が発行する雑誌の98号のテーマは「この世界の終わり方」だったので、水没した都市でクジラを屠殺する仕事をする女性の話(中編)を書いて持っていきました。同時期に5人の寄稿があったそうですが、掲載を射止めたのは僕の作品のみでした。これが商業展開の誌面に初めて載った機会です。「わたしは夏、冬をかくものがたり」3卍・誌面掲載とは別に江古田文学賞という文学賞のために書いた作品です。こっちは歯牙にもかけられず落とされました。

 

24歳 「作品C」10卍・大学1年のときにやっていたまずいビールが飲みたいだの軽音楽部をさっさとやめて、1年終わりごろに興した文芸合評(作品を読み合い、意見し合うこと)サークル『木曜会』の本格運営を始めた頃。サークルの性質上、短編をいくつかチャレンジしましたが、ぜんぜん書けませんでした。人の老化について扱った作品Cは、〈暮らしの小説大賞〉という場違いにも程があるところに出し、2次落ちしました。

「きみは雪を見ることができない」13卍・中編だった「わたしは夏、冬をかくものがたり」の構造は好きだったので、リメイクすることにしました。リアリティを出すためにより舞台を日芸に近づけ、その他いくつかの葛藤を付け加えるなどしました。〈双葉ルーキー大賞〉に応募し、半年待って連絡がなかったので落選を知ります。その後〈文芸社文庫大賞NEO〉にも出しましたが、一次落ち。ただ青木教授が推してくれていたので、〈第28回電撃小説大賞〉に応募してみました。【2021/08/29現在審査中】

「BAMBOO GIRL(商業版)」15卍(改稿)・自費出版したBAMBOO GIRLの商業化しないかとのお声かけをいただき、文芸社文庫NEOより改訂版を出させていただきした。4年前の文書なのでほぼ全文を書き換え、諸々の調整をしました。イラストも〈はねこと〉さんという方に素晴らしい絵を描いていただき、ウキウキ楽しかったです。この流れでノリノリで「BAMBOO GIRLⅡ」なるものを10卍ほど書いたのですが、さて、日の目を見ることなくnote行きとなりました

 

 

25歳 「処方」3卍・江古田文学を攻略するために自分の最も得意な介護描写で挑んだ「処方」は、最終選考4作に残りました。選評を要約すると、リアリティは全ての候補作で最も高かったが小説としてはあまりに雑、ということでした。雑なんだってよ。

「スター・シェイカー」22卍・【第9回ハヤカワSFコンテスト受賞作】であり僕の人生を変えた作品ですが、書いているときは地獄でした。この話の構想は4年前、自動車学校に通っているときに思いついた「テレポートの訓練学校」に端を発します。車校の授業が暇だったので、車文化が没落した未来を創造したのだと思います。書き始めた当時は新型コロナウイルスがまさに世界を蝕み始めた頃で、大学がリモート化というパラダイムシフトを迫られた転換点でした。元からインドアだった僕ですが、しかし自ら家にいるのとそれを強制されるのとでは違うことを悟ります。「スター・シェイカー」は限界大学生の地獄のワンルームで生成された、一つの蠱毒です。そりゃテレポートしたくなりますよ。別のノートにまとめましたが総工程が9ヶ月もかかっており、端的に言うとすごい疲れました。ありえないくらい分厚い紙の束を茶封筒二枚に分けて梱包し、3月末、ハヤカワSFコンテストへと送り出しました。

本来はここで書き終えるべきですが、ハヤカワの結果が出たのは8月末。つまりそれまで地獄の耐久戦は続きます。そして重要なのは大学3年の10月、友達が作家デビューしそうだと伝えていたことです。彼は生涯二作目の長編で、すでに担当編集を得ていました。僕はすごく焦り、彼と連絡を取ることを一旦は辛くなりました。なので僕は、とにかく次の作品に集中しました。

 

 

26歳 「作品D」13卍・大学生活は4年に突入します。ただ、僕はまだ受賞になど程遠いと思い、休学申請をして執筆期間を引き伸ばしました。今年でダメなら就活しよう、全ての未練を断ち切るために公募を出せるだけ出そう、という気持ちで帯を締め直します。このとき何にもまして頭にのしかかっていたのは公募のコスパで、もう二度とスター・シェイカーのような長時間はかけてはならないと思い、プロット込みの3ヶ月で作品Dを書きました。これも滑り込みで〈第28回電撃小説大賞〉に応募しましたが、一次選考落ちとなりました。

「東の王が死んだ」3卍・江古田文学用の原稿。現在執筆中です。

 

全然関係ないですけど、このアイコンはこの頃作りました。

 

 

そうして迎えた2021/08/23、【第9回ハヤカワSFコンテスト受賞作】の発表と相成りました。

小説(のようなもの)を書き始めてから、小説賞の受賞を知るまで、どれくらい書いたのかと計算してみようと思います。

単純計算で274.7卍ということになりました。全ての小説は最低でも全体の一割の書き直しを含むので、302.17卍となります。高校生までだと100.7卍、直しも入れると110.77卍。

高校時代は100万字を書いて勉学をかなぐり捨て、全体では300万字くらい小説を書いたら賞を受賞できた、という感じです。僕の場合は。

300万字は、250ぺージの文庫本30冊ぐらいの量になるようです。

ちなみにその友人はおそらく、25万字ぐらいで受賞しています。

やっぱえげつない個人差がありますね。

 

僕がここまで字数を積み上げた理由は、「人に伝える気のない自己中な表現」と「説明ばかりのうぜえ文章」と「大御所文学賞に出すのひよってるやついるゥーーーーー!? いねーよなぁ!?」という理由です。電撃とかに一回ボコられると敬遠するじゃないですか。でもやっぱ、そこを目指し続けた方が近道だったのかな、と。上の二つは自信過剰と、自分の実力を暴かれることへの恐怖が招いた毒です。日芸に入ったことで多少はマシになりました。お世辞を言わないと安心できる人に読んでもらい、意見を消化することはとても重要だと知りました。

 

ーーー地獄の耐久戦、始めましょうーーー

 

今日という日にもきっと、作家を目指して小説の一行目を書き始めた人がいると思います。かわいそうに。そんな自分があとどれくらいしたら夢を掴めるのか、それとも掴めないのか、それを知ることができたらどんなに楽でしょうか。過去の自分にこのデータを送ってあげたいですが、それは相対性理論が許してくれません。

何の参考にもならないと思いますけど、データとして残しておきます。地獄の耐久戦を始めたあなたに、いいことがありますように。