*母の記録*

 

2013年10月31日

再診の日

家族で血液内科の椅子に座り待っていると、

看護師が診察室ではなく面談室で先生が話をされる、と告げに来ました。

今でも覚えている48番の面談室。

診察室ではなく面談室と言われたことでよくないことなんだろうとなんとなく思いました。

K医師から、病名が『急性リンパ性白血病』で確定したので今日すぐに入院してください、と言われました。

 

重大な病気でも告知を希望するという書類に息子は署名していたので、告知はあっという間の出来事でした。

 

大学受験を控えていると医師に言うと、来年の受験は無理だと言われたことで、もう息子は助からないのだと思いました。

 

医師の言葉の意味は『抗がん剤治療と移植までを考えると時間がかかり来年の受験には間に合わないだろう』ということだとは、この時の私にはわかりませんでした。

 

急いで着替えなどを取りに私だけ自宅に帰りました。

 

病室に戻ると夕方医師から再度説明を受けました。

 

息子の白血病のタイプは非常に稀なT細胞性急性リンパ性白血病であること。18歳から24歳の発症数は1年で10人前後であること。

 

そして、『小児及び成人におけるT細胞性急性リンパ性白血病に対する他施設共同Ⅱ相臨床試験』というプロトコルに基づき、抗がん剤治療を開始すべく登録をしていく、ということ。

小児科として登録はあるが内科として登録はないため院内の倫理審査委員会を通らないといけないため申請していくとういうことらしく、K先生はものすごく急いでいました。

 

また入院病棟ではすぐに限度額認定証の申請をしてきてくださいと言われ、

区役所へ急ぎました。

 

☞限度額認定証➡高額になる入院医療費について限度額認定証を病院に提示することによって、窓口の支払いが月々自己負担額までとなる制度。

 

名古屋第一赤十字病院 造血細胞移植センター入院

入院した日の食事の鯵フライ喜んでいました。

 

 

(造血細胞移植センターの入り口)

 

 

*僕の記憶*

 

告知を受けた時、僕は不思議な気持ちだったよ。

あんまり悲しくなかったんだよな。

 

それはなぜか、今でも考えるけど、まず白血病という病に対して、全くリアリティを持っていなかったことと、なんだか、自分の特別さが認められたような気がしていたからかな、と思う。

 

あるいは、小説のネタになるとでも、思っていたのかもしれない。

ほんと、馬鹿だよな〜。

 

けれど、多くのことに泰然としている父が涙ぐんでいるのを初めて見て、僕はその時、ああ、そうか、今から僕は辛いことをたくさん経験するのか、と間接的に考えさせられた。

 

父の涙は結構ショックだったな。

 

物知りで仕事もうまくやっている父も、そんな顔をするのかという驚きと、父でさえそんな顔をすることしかできないのかという、無力感もプラス。

 

けど、そんな日に食べる鯵フライでも、揚げ物はやっぱり美味しかった。

 

(ちなみに鯵フライは病院食の中ではかなり当たりな方である)