*母の記録*
2013年11月3日
K医師から登録が完了したため連休明けからすぐに治療に入りますと。
治療の流れとしては、
1《寛解(かんかい)導入療法》
2《早期強化療法》
早期強化療法終了後にこれ以降の治療内容が決定する。
息子は最初の寛解導入療法で完全寛解に至らなかったので
超高リスク群となり
3《地固め(じがため)療法》を3回行った後、移植を行うことに。
移植前には前処置として放射線治療と最後の抗がん剤治療があります。
なのでこれから始まるのは《寛解導入療法》ということになります。
この日は高校の友人の渡邊くんが来て3時間話している。病気とは思えないくらい元気でした。
2013年11月4日
明日から治療開始なので食堂で姉と私と息子3人で焼肉弁当を食べました。
夕方また徳江くんが来てくれました。
<1日置きの採血、また検査などがある時は、こんな感じの予定表が届く>
*僕の記憶*
どんなことにも準備期間というものがある。
そして準備期間は往々にして穏やかなものだ。
この時の僕はまだ自分が行っていく治療のことをよく知らなかった。
よく知ろうともしていなかった。
知って、嫌になってしまっても、結局するしかないものなので、余計な恐怖を溜め込みたくなかったのだ。
だから、入院してからの数日間は、僕は変化する環境を楽しんでいた。
努めて楽しもうとしていた。
気楽が一番。
気楽でいることが病に対しての最強の攻撃なのだと、漠然と思ってんたんだろう。
進学校である私立東海高校の中で落ちこぼれクラスを意味する「文B(文系B軍)」と、我らがマエダ先生をあしらったクラスTシャツ。誇り高きバカの証。
白血病という病は、名前だけを知っていて、実際に自分に何が起きるのか、わからない。わからないということは、知ることができる。少なくとも、それは他の人が望んで知ることができるものではない。
思えばそんな考え方も、僕の必死の適応だったのだと思う。
怖いと思っても、どうしようもないから。