人はみな願望、夢を実現し幸福になれるように造られています。

それが本来の姿であることを知らなければなりません。

ところがキリスト教では堕落によって、

仏教では無明によって、

心情を中心として知情意が正三角形で均衡的に発達しなくなり、

人間と社会は本来の姿を失い混乱状態に陥っています。

本来備わっている創造本性がゆがみやすくなってしまったからです。

どのように本来の姿、創造本性の姿を取り戻すことができるか

以下の四つさえ直していけば、全て解決します。

1心情

心情は心の最も核心となる部分です。

ここで神様を感じます。

堕落して、無明の状態の人間にも、

この心情は残っていますが、十分に育っていないのです。

それでどうしても自己中心になりがちですが、

それでは心情は育ちません。

神様は父母で、私達は兄弟姉妹の関係です。

神様を愛し、神様から愛されて、

人を愛し、人から愛されて、心情の深さと幅が育ってきます。

2情

心情は内的な原因的な情ですが、

知情意の情は外的な結果的な情です。

心情が出発点です。

心情とつながっていない外的な情だけになると、

どこに運ばれるかわからない不安定な感情にになり、

少しのことでもカッとなりやすくなります。

それを抑えなければいけませんが、

そのような怒りの感情を消していくには

神様の心情とつながって感謝で満ちているようにします。

3情から知への転換

堕落によって心情が育っていないので

情から起こる願望に誤りがあり、

知で分析して判断する必要があります。

しかし、神様の心情とつながった情から起こった願望なのに、

最初から「こんなことできない」と知で判断すると、

従うべきことに従えない堕落性になります。

まず情からくる願望をすなおに受け入れます。

それから実際にやれるのか知で分析します。

4情と知を意で結合

知だけなく意を働かせて、

どうすればよいかよく考えます。

さらに知と意だけでなく、

情も働かせて判断するということが、

「4情と知を意で結合」に加わります。

知と意で決断しようとするとき、

情が働いて「これでよい」と感じたら実行します。

けれども情が働いて「これはよくない」と感じたら、

中止して、再び知と意を働かせてよく考え直すようにします。 

しかし、堕落した人間は心情が育っていないので

知情意が正しく働かず、

誤った判断をしやすい堕落性を持っています。

まず、自分だけでは誤った判断をするのは当然として、

相談できる相手を求めましょう。

面子にこだわらないで、

神様の心情により近い信頼できる人、

メンターを探し出します。

そして、その方に隠さず報告して、

助言、アドバイスを聞くことです。