Merry Christmas!
毎年締めくくる感じに生存報告をしているような感じですが、今回は公開記事にて。
何年ぶりかわかりませんが、ご無沙汰しております。nine-o-clockです。
※部分編集させていただきました。
2016年も色々ありましたが、ブログの更新は今後年度末を締めくくる回になるか、ブログ側はこのまま消息を絶ちそうな感じになってしまっています。
今年もそこそこドタバタグータラの変動が激しい日々でした。
もう少しだけ緩いバランスになったらと思うところでもあります。
長距離移動の機会も多かったので、ゲームセンターを見つけては寄り道していたのですが、引き続き明るい雰囲気と共に難しい現場を感じます。
長時間入り浸ることもなくなり、年々短時間で退店するケースが多くなりました。
メダルゲームも、数千枚の当たりにならない場合はベットゲーム系で使い切ってしまいますし、ゲームをするときはほとんどメダルを現金で借りて1日勝負になりつつあります。
★★★今年のネタ★★★
前置きですが、以下記述することは十人十色楽しみ方は様々ありますので、批判・反感を抱くかもしれません。
メダルゲームの失敗遊戯事例と変なタイトルではありますが、ある種のケーススタディーだと思ってください。
私がゲームを長く楽しんでこれた中で、個人的にやらかしたと思った大きい失敗があります。
言葉や数字では表現できない幸福感を堪能できなくなりつつあったのは、痛かったです。
少しモヤっとしていたことの一部で、今年は特にゲームに対する熱が冷めたり逆にヒートアップする変動がかなりありました。
「本来の純粋な楽しさとは何なのか?」という疑問です。ここ数か月どうもメダルゲームが楽しくないと思うところが顕著にあり、ここ数年間振り返ってみると私は純粋に楽しむことを見失っていたのではないかと少しずつ気づかされるように感じました。
ゲームを楽しんでいるうちに、攻略やコツは少なからず習得して覚えると思います。
考えたり調べたりしながら戦略を立てることもひとつの楽しみですし、メーカーのワンポイントアドバイス以外のテクニックについても、自ら工夫しながら楽しむということでは特に問題はないのですが、ハマればハマるほど奥深い追求をしてしまうことがあります。
例えば、ゲーム機には「ペイアウト率」というものが存在します。
振り返ればこの「ペイアウト率」とはどういうものなのかという基本知識を得たときから、ゲームを純粋に楽しめなくなってしまう道を歩んでしまったのかもしれません。
長期的に統計すれば必ずゲームバランス調整で運営側(胴元)回収されるようになっている実態を知るわけです。
この時に、二手の考えが生まれます。
・プラスの考え
総合的に不利と分かっていても、仕様の知識と知恵で勝ちを目指す。
・マイナスの考え
いずれは必ず負けるものだ。
時間の無駄。
お金や景品にならないゲームジャンルのどこが楽しいの?
私の場合、ハマってから徐々にプラスの価値観を持ち続けていました。次第に演出・挙動の偏り・統計など調査をエスカレートさせていくうちに、演出を楽しむと同時に、確率をはじめ色々数字化させて戦略を考える癖もついてしまいました。次第にはデバッガー的な部分や空想リバースエンジニアリングまで入り込み、好きなことに対する好奇心と欲求はどんどん生まれてくるものと思います。
ゲームを通じた統計分析は確かに人によって興味深い分野ですし、戦略の判断材料にもなります。あらゆる場面で重要な情報源として活用されますし、スポーツにも積極的に取り入れられるようになっています。
奥深い知識とデータは「勝つ」ためには有用ですが、「楽しむ」ためには本来そこまでの必要はありません。メダルゲームの場合、確かに「お金をかけず長く楽しみ続ける」ためには欠かせないものではありますが_。そういった意味では、論理的思考など将来的にもプラスとなるような知識としては良い勉強になっているのかもしれません。一時期記事や書き込みにもありましたが、「最高の暇つぶし」でもあるとは思いますが、「人生最大の無駄時間」、「生産的ではない」みたいに否定・非難するようなジャンルではないと思います。観点次第でためになることがあるはずです。
しかし、確率統計など意識しすぎた結果、楽しみ方が偏ってしまい、ゲームを十分に満喫することが難しくなります。新しい機種が出てきても、仕様から先入観など予測をしてしまいがちで、純粋にゲームを楽しもうとすることができていないことに気づかないようになってしまいました。
戦略追求の分も合わせて慣れてしまうと、これ以上の刺激を求めるのも難しくなり、本当の飽きが来るかもしれません。今ではメダル単価の下落などから、メダルを沢山賭けられるクレジット制のベットタイプメダルゲームが主流傾向にあります。ペイアウト調整のための内部依存が強く、統計や数字戦略の強いゲームばかりが登場するので、もはや数字加工の延長線上みたいになっていました。
例えば、ペイアウト率90%を維持するためにどこでハウスゲインを得る仕組みをとっているのかとか、確率分布のパターンとか獲得期待値・倍率推移とかそういう部分に凝ってしまうわけです。
メダルゲームの面白みの原点は、メダルを増やす疑似ギャンブル要素であることから、どうしても「勝ち」にこだわる部分が強くなりがちです。
こういった流れと傾向でゲームを楽しんできましたが、ずっと同じ手法でゲームを続けていると飽きることはあります。上記の統計戦略のような別手法で偏りすぎた遊び方を追求しすぎることもマズイと思うところがあると思うようになりました。ちょっと楽しむ感覚がおかしいと感じるようになったときは、頭を真っ白に初心に戻って楽しんでみることで、表面上の細かい面白さを全て受け入れられるように心がけたいところです。
しかし、今度は初心に戻りすぎて損得勘定ばかりに意識が強くなってしまい、新鮮な気持ちで遊べない。勝負以外のところで気分的プラスに働くはずの感受性も、損得に関係ないものはフィルターで遮断してしまいます。豪華な演出による満足感を得る機会すら自ら切り落としてしまい、精神的にもストレス解消的にもよくありません。
惜しいハズレや珍しい演出など楽しめる部分は他にも見えないところで沢山作られていますし、メーカー・オペレーターすら意図していないさまざまな珍発見や刺激を受けることもあるでしょう。アーケードゲームやレジャースポットはスマホなどのゲームに比べて「空間」の違いがはっきりしているので、そういう面で非常に長所であり積極的に強化していくべきところなのではないかと思います。
「数字化で予測や状況が理解しやすくしてしまったために、自ら楽しさを壊した。」
こうなってしまった私は探求心で楽しさを一部しか感じ取れなくなってしまい、まさに自爆でした。どちらかと言えば芳しくない楽しみ方をしてしまったと反省レベルに思います。
ネタバレの好き嫌いと少し似ています。
既に知っている台本のお笑いネタより、誰もが予測していないとっさの爆笑ハプニングのほうが大勢にウケるのとも似ていますね。
どうなるかわからない。ハッキリしていない。予想外。期待が常にある程度漠然としているからこそ楽しいのではないでしょうか?物理系は特にここが重要な面白ポイントなのだと思いますが、これらも統計的戦略の追求によって数字化してしまうと、いくつかの物事の価値観や楽しみがどんどん落ちます。遊びに対して行き過ぎた攻略・分析・調査は、ゲームの楽しさをダメにするかもしれないですし、やめた方が良いこともあると感じました。他の分野まで世の中がつまらなくなるかもしれません。
ジャックポット抽選の時に、「確率が1/6」などと考え始め、「サイコロを振っているのと同じ」感覚と考えてしまうまで陥ると、面白みが一気に失せるわけです。
数字で表すと万能ですが、何にでも当てはめやすくなってしまうとよろしくないと思うところがあります。
もちろん仕様とデータの知識からプレイヤーが期待するように最適解のコツと戦略を立てるのが楽しいゲームもあります。最近は共闘とかレイドイベントとか、団結協力系に達成感を見出す仕組みが増えていますし、ベースも色々手軽なためにトレンドでしょうか?
ペイアウト率の話でイメージが悪くなるかもしれませんが、
メダル収支は全体統計からすれば機械側に回収されているものの、その代わりに別の付加価値を提供している要素が必ずあります。ゲームの演出やアミューズメント施設という場の提供を時間を通してサービスとして自然に受けていますし、今年は特にこれらの娯楽の本質の価値をいくつか見落としてしまっている部分で改めて再確認させられるものでした。
メダルゲームに限らず、効率やら攻略情報やら調査することはありますが、確かにそれも一つの手ではあります。外部や事実の情報ばかりに依存してしまって、常に最適な操作と分析しかしないとなると、楽しんでいるというより作業の感覚になっていないでしょうか?
結局ゲームをする本人が楽しいと感じ続けられるのであればよいのですが、そう感じれなくなった時は飽きが来たのかもしれませんね。
情報社会とは言われていますが、あえて詳しく探らないほうが良いこともあるということのひとつですかね?
時代の流れですが、メダルゲームコーナーもここ数年で一気に方針が変わる気がします。
それでは~またいつか。
良いお年を。