不都合が普通、という事が腑に落ちたら、なんだか、全てがなんでも無くなりました。 | アルベルト愛のブログ

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母は認知症です。2013年から猫のみゅうと一緒に在宅介護7年4カ月しました。
介護猫みゅうを見習いながら、介護日誌をブログで書き始めました。そして、母は、2020年4月21日から特養に移り、みゅうは2022年11月7日虹の橋を渡りました。
今は、毎週、母の面会を書いてます。

 

 

おはようございます。

 

今朝のみゅうは


食事の後



椅子の下が好きです。


椅子の脚は

猫足なのですが

床を傷つけないように

靴下を履いております。


今日も

ワタクシは

仕事に向かいます。

 

周りの状況には

特に変化はありません。

 

ワタクシに批判的な人は、相変わらず

何に対しても批判的な言葉を向けてきます。

 

ワタクシが理解できない人は、やはり不可解です。

 

ただ

全てが普通だ、と分かりましたら

 

特に、違和感を感じません。

 

なんなんでしょう?

この感覚は・・・

 

俯瞰している、という感覚に似ているけれど

少し違うような

 

諦めた、という事とも

だいぶ違うような

 

やりたいことが、見つかって

その情報を収集しているから

それどころではない、という事でもないような

 

よくわかりませんが

とても楽になっております。