二つめは、このごろチョコというかまわりの粉おおすぎやしないか?ということだ…あの粉はココアだと思うんだがちがうかったら教えてほしい…。
とりあえずわたしはあの粉が苦手だ…パサパサ感と、苦味あと手に付くもう泣きそうだ…。なぜ!?!?つけるのはなぜだ!?!?嫌みか?それとも、大人の味の演出か?
そんなことを考えながら、ゴディバを食べていた中身は最高だ。チョコの味がよくわからない私でもうまいと思った。
しかし、やはりあの粉はいるのかどうかと言うところで引っ掛かってしまう。
いわゆる、蛇足というやつではないだろうか?必要十分なものにつける必要はないと思う。

そんなこんなで
バレンタインの余韻も終わりを告げた。

あの人からは一通の連絡もこず、
バレンタインというのは、女の祝日と思わざるをえなかった。
そんなバレンタインも終わり。
もう少しで、色んなものが一旦肩から降りる。
それがいいことなのかどうなのか、それはわからないが。


つづく?
ここはどこだろうか?
たぶん私は活字とよばるる一種の紙の上のインクなのであろう。
ということは、私は今紙のうえということなのか。
ふむ。髪なのか紙なのかはさだかでないが、しみ込んで離れられない。
私は束縛されたのだ。一生私はこの見られる羞恥に耐えながら地縛霊の如くここにいき続けるのだろう。
しかし、しかし、私にも自由はあるのだ。

さぁ、帰ってきた。わたしだ。視点は違うが、
活字と言うものについて考えたというわけだ。結果的に言えば。
束縛されたドMという結果なわけだ。
逆に言えば、本を読む私は虐めるドS側ということであろう。

結局こんなものは本当にこんなもので終わってしまった…。
追加の話のほうが重要になってしまったようだ。
そう、学校の先生が雑談で話した話のほうが生きるためには重要なものになったりするのだ。
まぁ、そんなはなしをかいているとなりで、いま車で飛んだK君がバレンタインについて語っているわけだが…
話がかわるが、バレンタイン残ったから、といってもらうことが今年は多かった。まぁ結局のところ、5個しかもらっていないわけだが、それももらいたい人からもらえてないわけであって…色々私も今年のバレンタインについて思うことがある。
一つは、女の子はどこから、チョコのレシピを得てあんなチョコとは言いがたいチョコなのか、うんチョコだ。というかんじのチョコを作るのだろうかということだ。



つづく?
誰がこんなものをよむのだろうかと思いながら、
私はいつもどおり、自己満足のためにこんなものをかいている。

こんなものというが、このという代名詞がさす内容がでていないなかで、

人はこのあとなにがつづくと考えるだろうか?
その作者さんのテーマというか、作風やタイトルやなどで続きは少しはわかるものであるが、
私はタイトルなど決めてかいていないし、私に作風などという大層なものは全くない。
ただ、好きな作者さんに影響された書き方なだけであり、私には書く基本的なテーマなど存在していないのだ。
ということは、作者を知っている人は作者という人を考えてこれからを推測するのだろうそして続きを期待する。
少し推測を、聞いてみたい気もするが、そんなものかいてるほうにとっては、あまり関係ない。
書く側は常に、ブレないように書かなければいけないからだ。
読者の期待に沿ってはいけない。
ラブストーリーは結局ハッピーエンドだという読者の期待に沿って、書かれるだいたいのラブストーリーは面白くない。

話がそれた。いや、それていないか。
まぁそんなことは、どうでもいい。私はいや、僕か一人称ほどコロコロかわるものもないだろう。俺は『俺』『私』『和信さん』『になろ』etc...とあるわけだが、たぶん家では和信さんが圧倒的に多いだろう。


ふぅそろそろ、『こんなもの』を話す時間だ。


と、言いたいがしかし、あえてそうあえて、ここでだ、乙一さんのように違う視点でこんなものを書いてみたいと思う。



つづく?