こちらは日本で最初の津波体験施設とのことです。
館内の掲示物で津波のことを知ったり、津波をテーマにした10分ほどの映像と共に音響・振動・送風を組み合わせて津波を疑似体験するシアターを観ました。
振動は地震でいうと震度3〜4ぐらいとのことで、久々に感じた大きな揺れに一瞬冷や汗が出ました。
自分がいざ同じ状況になった時に何ができるのか。
改めて問い詰められました。
その後は時間の関係で予定を少し変更して近くにあった御崎神社へ。
開運という言葉に惹かれておみくじを引いてみたら、今後を左右するような良いことが書いてありました。
コンビニで軽くお昼ご飯を食べた後は前日に続き、ともしびプロジェクトのキャンドル工房に訪れました。
皆様からお預かりしたチャリティーライブとチャリティーCDの寄附金を写真の一番右端に写っているともしびプロジェクト代表の杉浦恵一さんに無事お渡ししました!
その後は車で少し移動して、団地の敷地内にある幸町住宅コミュニケーションセンターで「南気仙沼 3.11 祈りのともしび」という催しのお手伝いをさせていただきました。
命灯会(みょうとうえ)という献灯の際に使用する燭台とテントを地元の皆さんと協力して設置しました。
(BOXティッシュを常に携え、花粉と格闘しながらお手伝いする広崎氏)
2018年3月11日で東日本大震災から7年。
そして8年目を迎えます。
自分は被災したわけではないので同じような心境になることは難しいけれど、少しでも寄り添えたらと思います。
17:15頃に開会式が始まりました。
その間に僕達はテントに戻り、キャンドルとローソクに火を。
ともしびプロジェクトは、毎月11日の月命日にキャンドルに明かりを灯し、写真に撮ってSNSにアップすることで震災を風化させないためのプロジェクト。
命灯会は、2本のローソクに明かりを灯し、一本を、今を生きることができなかった「いのち」のために。
もう一本を、今を生かされている「いのち」のために献灯します。
そして、あらゆる枠を超えて全ての「いのち」に向き合っていく祈りの場。
杉浦さんが言っていたように、残された自分達が今後どのように生きていくかが大切。
その言葉を受けて、自分自身の今後の「いのち」の使い方を考える機会をいただいたような気がしました。
この日の14:46の黙祷を終えて数分後に携帯が振動し、一通のメッセージが。
その時、僕は祖母の訃報を知りました。
小さい頃、夏休みには祖母の家に泊まりに行ったり、お正月には親戚一同が集まったりと、当時の懐かしい思い出が次々と蘇りました。
奇しくも僕にとっても3月11日は故人のことを想う日となり、忘れられない日となりました。
きっと祖母が遺してくれた最後のメッセージと受け止め、東北の復興に関わることに間違いはなかったように思いました。
お前は東北に呼ばれてない。といった痛切な言葉をいただいたこともありましたが、多分そんなことはないのかなと。
誰に何と言われようとも、自分のできる範囲で今後も復興のご協力に携わっていきたいと思います。
杉浦さんのご厚意でキャンドル工房のお隣りのシェアオフィスで開催されていた11BACKというパーティーに参加させていただきました!
毎月11日に開催されていて、今回で31回目とのことです。
手作りの美味しいオードブルをいただきながら、地元の方々とのお話に花が咲きました。
聞く所によると、気仙沼も演奏できる場所は他にも何箇所かあるようなので、次回こそはライブもできたら良いなと思います。
今回連れて行った相方の覚くんと杉浦さんは偶然にも地元が一緒で、同じ中学校に通っていたという事実が発覚!
2歳違いなので全校集会の時には同じ空間に2人はいたようです…!笑
気仙沼で覚くんと杉浦さんによる校歌が鳴り響いた時に、覚くんを誘って正解だったなぁと嬉しくなりました。
きっと覚くんも東北にご縁があったのだと思う。
名残惜しみながら気仙沼の皆さんと別れた後は、この旅の最後の目的地である安波山(あんばさん)へ。
3月11日の18:30〜深夜0時まで地元の有志の方々が協力して気仙沼湾の3つの岬から3本の光が夜空に照らされます。
それぞれ、鎮魂・希望・感謝の思いを込めた光の慰霊碑。
チャリティーCDに入っている大夢くんの楽曲「光の矢」の元となったものがまさにこちらです。
昨年もそうでしたし、今回のブログの前編にも書いたように、直接現地に訪れないと気づけなかったことは多々あります。
来年はスケジュールの都合でこの時期に訪れることは叶わないですが、2年続けて3月11日に合わせて訪問することができたのは大きな意味を持っていたように感じました。
スケジュールがタイトで現地でお土産を買うタイミングが無く、帰りの高速のサービスエリアでお土産を大量に購入。
金額がかつてないほど凄いことに…。笑
被災地でお金を使うことも個人的には意味のあることだと思っているので、行きに牛タンを食べた時と同様に出し惜しみなく。
今年も無事に帰ってくることができてホッと一安心。
翌日、翌々日の祖母の葬儀も無事済ませることができました。
寄附金を確実にお渡しした証拠として領収書もいただきました。
寄附金は、ともしびプロジェクトの運営費として役立てられます。
ご協力して下さった皆様、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
2018年もみんなで協力してまたチャリティーイベントを開催する予定ですので、足をお運びいただけたら幸いです。
…と言いつつ、自分の中の復興支援に対しての価値観の変化が少しずつありました。
杉浦さんも言っていたのですが、今後はともしびプロジェクトを支援するという形よりも、一緒に協力してプロジェクトを広めていってほしいと言って下さり、ちょうど僕も支援という形を取るのはやめようと考えていた所でした。
というのも、友人からの受け売りではあるのですが、支援するということは、支援される側は弱い立場ということになり、そうなるといつまでも支援を続けるのはちょっと違うと思うようになりました。
下手したら自分が支援と思ってやっていることも一方通行でお節介になる可能性もあるわけで、そう考えていくと自分にできることは案外少ないんじゃないかとも思うようになりました。
今は寄附金を多く集めることよりも、同じ立場となり、ともしびプロジェクトの理念である「風化させない」という思いに沿って一緒に活動していければと思います。
そう思えるようになったのも、東北復興支援という名目でチャリティーライブを3年間続けた経験と、実際に東北に訪れた経験が気づかせてくれたのだと思います。
まずは自分の生活や夢や目標を疎かにすることなく、その上で復興のご協力をさせていただきます。
とても長くなってしまいましたが、せっかくなのでこの機会にもう少しだけお話を。
東北からの帰り道。
運転席と助手席に覚くんと僕が座り、色々と話をしながら帰ってきたのですが、そこで新たな夢が生まれました。
それは…
題して、「ムラサキサトリ世界ツアー(仮)」
※ムラサキサトリとは、広崎覚と二村ユーリによるほぼ活動休止中の音楽ユニットです。
まずはお金を300万ぐらい貯めないといけないことになったので、すぐに出発ということではないのですが、近い将来に世界を旅することができたら良いなぁと思います。
もし行くことができれば、旅先でギターを弾いて唄ったり、時には整体のようなマッサージをしたりしてお金を稼いだり、世界の絶景や世界遺産を見て回れたらと思っています。
覚くんには色々と人生を変えてもらって、大変なことも勿論ありましたが、今思えば会いたかった人にはほぼ会えたり、奇跡的な良い思いをたくさんさせてもらったので、きっとまた凄いことが待ち受けていそうだなと、世界一周旅行のお誘いに乗ることにしました。
今まで自分が培ってきた経験や能力を駆使して、今後二度と無いぐらいの人生最大の試練にチャレンジしてみたいです。
勿論、その時の状況次第ではありますが。
人生は泣いても笑っても一度きり。
いつか灰になってこの世から消えてしまうその日まで「いのち」の使い方を改めてよく考え、悔いを残すことの無いように使い切る。
それが今回の東北の旅で僕が得たことです。
それでは、貴重なお時間を割いていただき、最後までお読み下さって本当にありがとうございました!
またお会いしましょう。
二村ユーリ official website
























