若にのあいです。
…ノ、……ニノ。
小さな囁き声に、わずかに意識の端を持ち上げた。
……ニノ、……にーのちゃん?
また。
誰かに呼ばれてる。
…ああ、相葉さん…の、声だ。
いつものロケバスに、二人で待ち時間なんだった。
そろそろ出番?
そんなに疲れてたつもりはなかったけど、思いもよらず深く眠り込んでいた体は重たくて、なかなか動いてはくれなさそう。
「…寝てる?ねえニノ、寝てる?……寝てるよな?」
寝てる?寝てる?って、どんだけ確認すんのよ。
俺を起こしに来た?にしては恐る恐るすぎる相葉さんの囁き声。
何か俺に寝ててもらわないとまずいことでもあるんですか?
このまま寝たふりしてみようかと思ったのは、日々相葉さんを観察する俺の第六感?が働いたから。
相葉さんが、誰も見てないはずの車内で何をしようとしてるのか。
何かまたMCのネタを提供してくれそうな予感にたちまち意識は覚醒するけれど。
寝たふり寝たふり。
「……ん」
試しに身じろぎをして座席の上で少し体勢を変えてみると、すっと相葉さんが息を殺して後ずさる気配。
ふふ、びびりすぎでしょ。
安心してね相葉さん、俺は寝てますよ、とまた大人しく寝たふり。
…。
……。
…………で?何?
そこにいるよね?
こわ…怖いんですけど。
めちゃくちゃ見るじゃん。
何でそうしてるかは知らないけど、相葉さんにじっと見られてるらしいのがわかる。
何だよ。やることあんなら早く頼むよ。
俺の寝顔なんか見てても暇は潰れないでしょ。
こうなったら大声で叫んで驚かしてやろうかと思ったら、今度は頬に相葉さんの指先が触れてきた。
びっ…くりしたぁ。
ぴくっと頬が動いた、かも。
それでも寝たふりを貫く俺の頬を、相葉さんの指がふにふにともてあそぶ。
ふふっ、て笑い声が漏れてるの、あなた自分で気づいてないでしょ。
やめろや。
何かめちゃくちゃ恥ずかしいじゃん。俺が。
うーん、なんて言いながら顎を反らしてその指先を交わす。
…やっぱ寝たふりなんかするんじゃなかった。
完全に起きるタイミング見失ったよね。
それに圧倒的に無防備。
何だか分かんないけど、相葉さんがこの場を去るまで寝たふりするしかなくない?
そう思った矢先。
ふいに、相葉さんをびっくりするほど近くに感じて息が止まる。
頬に相葉さんの吐息。
…近いよ。近すぎ。
だって、この距離は。
こんなの相葉さんが俺に、キ…スって、そんなことありえない。
そうだ、もしかして夢?まだ寝てんだ俺は?
でも、だとしたら、全部がリアルすぎる。
顎をとらえる相葉さんの指先の熱も。
さっきから何だかうるさい俺の心臓も。
だってもう、すぐそこにある。
相葉さんの唇まで…あと何センチ?
知らず瞑った目にぎゅっと力が入った時、フッと小さく息を吐いた相葉さんが体を引いたのがわかった。
そのままそっとロケバスの出入り口まで足音が遠ざかって……
ゴーッと響く開閉音に、街の喧騒と外気が流れ込む。
「ニノっ!」
相葉さんの声にぱちりと目を開けると、とたんに時間が動き出した。
「……え」
「くふふ、やっと起きた。俺らそろそろらしいけど、大丈夫?」
ひらひらと手を振る相葉さんの笑顔はいつも通り。
「……」
「ニノ?」
「あ、うん。だいじょぶだいじょぶ、了解」
なんて言ったけど、全然大丈夫じゃない。
だって今のは、今のは何なんだよ。
ねえ、俺だよ?
相葉さん今、俺に何しようとしたの。
どう考えたってあの距離感は…でも、だけど、相葉さんだし。
この人たまにわかんない言動があるから。
力が抜けた体でのろのろと立ち上がると、先にロケバスを降りる相葉さんに続く。
ステップに思わずふらつきかけた俺の腕を相葉さんが引いた。
「ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だって」
何回言わすんだよ。
大丈夫じゃないけど、大丈夫なんだってば。
だから早くこの手を離せや。
そしたら相葉さんは、その手を引いて俺の耳元で囁くように言った。
「ドキドキした?」
……はあ?
なにそれ。
なんなんだよそれ。
最初から俺が起きてるって分かってた?
じゃああれはわざと?
揶揄われた…相葉さんに?
「……お前、ふざっけんな、わっ!」
ロケバスから俺を引っ張り出した相葉さんがそのまま歩き出すから、体がぐんっと前のめる。
慌てて両足を動かす俺に、長いコンパスを存分に使いながら相葉さんは先をゆく。
だから、同じ速度で同じ距離感で、俺は着いていく。
人波を縫って黙って手を引く背中に、妙に腹が立った。
…ドキドキ?
「するか。バーカ」
「しろよ。バーカ」
相葉さんは振り向かない。
だけど、俺の手は離さない。
相葉さんは相葉さんのくせにわかんないことだらけで。
今相葉さんがどんな顔してんのか見てやりたいけど、今俺がどんな顔してんのかは絶対見ないで欲しい。
だから、わかんないけど、わかんなくていい。
今はまだ、きっと。
ずっとこうやって歩いていたいような気がして、じっと見つめたその背中にそう願った。