久しぶりのログイン。
ということは、また愚痴が溜まっているのだ。
 
坊主にして3ヶ月。
成人式は明日に迫っている。
 
ないに等しい、惨めな短い前髪を捲って、前よりも明らかにおでこが広くなっているのを確認する。
 
年末に精神病院にも行ってみた。
自分ではかなり逼迫しているつもりではあったが、血液検査の結果「至って平常」との診断を受けた。
 
おかしい。
正直納得のいかない結果だった。
 
年が明け、年月が過ぎるにつれ母親のウザさは増していった。
僕の大学のことについて心配してストレスを溜めているのもあるんだろうと思った。
面倒見が良いと言えばそうなのだが、頼って欲しいのか、母は自分の経験外の話題になると平気で嘘を織り交ぜながら、ひろゆきの真似事のような口調でつらつらと話すフェーズが始まる。
 
そんな母の気性を、昔から子供ながらに感じ取っていたんだろう。
子供の頃、いつも母はどこか頼りなかった。
 
そんな母の顔色を気にしながらなので、
僕はとても母にとって都合の良い、素直で優しい少年になっていったように思う。
 
しかし母は、僕の前ではそんな自信のなさや不安定さを隠しているつもりで平気そうな顔をしていたが、子供心にもそれは今に決壊しそうでどこか不穏だった。
 
東京に連れてこられ、高校受験、大学受験、と失敗が重なるにつれ僕はそんな母に対し明確な違和感を抱くようになった。
 
そしてその違和感は、いつしか恨みに変わっていった。
 
あの母の1番大切なものをぐちゃぐちゃにしてやりたい。言い訳がきかないような、その核心をついた嫌がらせをしなくては。ではないと、気が済まない。
 
母にとって一番大切なもの、それは自分だった。
 
それは考えずとも無自覚に分かっていた。明白だった。
父でなく弟でもなく母自身でもなく、その標的はまごう事なくこの身体に宿る、自分だったのだ。
 
そう無自覚に分かっていたので、いつからか、いや思えば最初からか、自己破壊に勤しんでいたように思う。
 
少しでも人より優位に立っていると感じると冷や汗をかき、
仲良くなった人を全員殴りたいと思い、
クラスでのコミュニケーションも、うわべの意思とは関係なく本能的に途中で全く関係のないことを言わずにはいられず『不思議ちゃん』の称号を手にしてしまい、かと思えばそれをも投げ捨てるように毅然と普通なことを言って白けさせたり
 
不幸そうな、鋭い目つきをしてみたりしていたら「あいつ薬やってる」と言われたりして、幼い頃はそういう事で泣いていたが、成長し、防衛本能が薄れるとそれでどこか安心するだけだった。
 
人に好かれるのは大変だが、嫌われるのはとても簡単だ。
 
だが、周囲に人がいなくて寂しいのだけは普通の親を持つ人と一緒である。
 
こんな、会話のキャッチボールでわざと草むらに穴を掘って埋めるような、ましてやそれを探しに来てくれた人にすら殴りたい衝動にかられてしまう、こんな人間の生きている意味はないように思われる。
 
ここまできても、母親の報われなさに同情してしまう自分に呆れてしまうが、もし昔から頼りがいのなかった母親がまだ僕を大切に思っていて、最後のおねだりをするとすれば、この事を知ってもどうか死なないでほしいと思う。
 
親子という関係の複雑さ。
 
明日はこんな人間の20周年を祝うおめでたい日だ。
その前日に、こんな最高の遺書が書けてしまうとは。