バイト帰り。母親に抱っこされていた赤ちゃんが一時的に父親に預けられるとき、赤坊は露骨に嫌だという反応をする。


男は可哀想である。


母親と子供は直接的につながっているという点で父親は不利なのであると、何かのWikiページで読んだような。


男女平等の動きが進むにつれ、『女ならやっていいが男はやっていけないこと』が増えているように感じる。


容姿や特徴に関して、男は執拗以上にツッコまれるが女にはツッコまないマナーを、幼稚園あたりでいつのまにか叩き込まれている。


挨拶の時の視線の送り方、表情、言葉の長さ。


男ならすべてスキニージーンズのようにシュッとしていなければならないように感じる。そうでない奴は本当の意味で受け入れられないからだ。


しかし冒頭で述べたとおり、男性というのは本質的に、いや男性という生物的に不利な生き物であり、それが競争を産み、淘汰されていくことで人間としての進化があるのか。


その競争の中で、ささいな、そして強烈な楽しみを見出していくには、その男性としての本質を真っ向から受け入れ、苦しい水中に潜るような感覚で、自らを浸しておくことが必要だったのである。


僕は奇跡的に、今の年齢まで潜らない選択ができてしまったせいで、今、激しい浅瀬で必死にもがき続けている。


これを異変と言わずなんと言おうか。