文章もセリフも、鮮度だと思った今日この頃。

人。前に長谷川さんとのDMの中で、Xでポストすることを『ドロップする』と言ってしまったことを思い出し、共感性羞恥で体がジリジリする事がある。

2人の人間が話す時、人は少なからず会話中に相手のセリフや人格に多少なりとも影響を受け、その会話の中でなんとなく相手のいいそうなことや動きのキレを真似しているぞ?ということを感じ取った事がある。

なのにその人に合わせすぎていることに気づくと自分が恥ずかしくなるし、話し相手も「あいつ、なんか気取っててキモい」というふうにその人がいないところで言ったりする。そういうノリが顕著にある集団のことを周りは「怖い」「宗教的だ」と貶したりするからもうよくわからん。(海のバーベキュー日焼け男子大学生など。)

だが、日本に一時帰国しているらしいトバログが、インスタのストーリーに150円のビールの写真とともに「えっこれ1.5AUD?(オーストラリアでは1000円)」と、俗にいうそういう、Twitterで吊し上げられて悪いバズりをしそうなここ10年間で理性に追いやられてしまった平成の大学生みたいな投稿をしていて、あぁ、こういう大人が人生を楽しめるんだ、と近年自分が培った偏屈さを添えて思ったのである。


ここで少し話は変わって、先ほども触れていた、2人め話しているとにに相手の真似をしすぎるとキモい感じになる(もしくは3人で話してる時に3人目に客観視されてその人が気づく)ことに関してだが、

僕にはそういう真似に対するストッパーがないんだろうか?

バイト先で久しぶりに会った中学の先輩に「山本くん元気だった?」と言われ、「元気でした!」とすんなり答えてしまった自分のことを、厄介な病だと思ったことがあった。


これを書いていて思ったのが、人は最初、いずれにしても相手のことをキモいと思ってしまう性分なのかもしれないよね。

その人と過ごしていくうちに本当の人格がわかるみたいな。最初から自分の素を出せるひとは少ない気がする。


無意識に遠慮しまうからだろうか。

僕は人の前で正直になれないし、


とまぁそんなわけで、僕はきついノリがある集団には順応できないんであるぅ。←嬉しい嘆き