『塞王の盾』は、 2022年第166回直木賞受賞作。
著者は滋賀県大津市在住の歴史小説家、『今村省吾』氏だ。
今年の2月に読んだ『イクサガミ』で、今村省吾氏の作品が気になって、もう一作品購入したのがコレ。
私は戦国武将とかよく知らないんだけど、今村氏のスラスラと読めていく文体に、この『塞王の盾』も一気に読めてしまった。
近江の石工職人、穴太衆が造るどんな攻撃にも耐える城壁の『楯』。
同郷の鉄砲職人、国友衆が作るどんな障壁も打ち破る鉄砲の『矛』
織田信長や豊臣秀吉が治めようとしたした戦乱の世。
穴太衆の若き頭領と回りを固める仲間たち。
乱世を終結させる決戦の場は、関ヶ原の合戦直前の『大津城の戦い』だ。
『塞王の楯』に登場する大津城周辺を散策してみる。
東海道 大津宿をゆく
スタートはJR石山駅。
瀬田の唐橋から大津宿まで、東海道を走って『塞王の楯』の時代に遡る。
江戸時代に徳川家康が整備した東海道を監視する為に、1601年に『膳所城』が築城された。
石垣や材木の建築資材は廃城となった『大津城』の物を転用したそうだ。
ちなみに、大津城の資材は明智光秀の『坂本城』の物が転用された。
札ノ辻と呼ばれる京町1丁目交差点に残る『大津市道路元標』。
江戸時代の大津宿の中心はこの辺りだったんだな。
大津市歴史博物館
大津市皇子山運動公園や園城寺と同じエリアに、『大津市歴史博物館』がある。
『大津城址』に向かう前に、少し大津市の歴史について勉強しておく。
安土桃山時代には、織田信長や豊臣秀吉、明智光秀、石田三成など多くの戦国武将が京への起点として大津を重要視していたんやね。
1600年9月の『大津城の戦い』で、回りは西軍ばかりの畿内に於いて、唯一東軍についた京極高次の事。
穴太衆の石垣や大津城の縄張りの事。
大津城の石垣や材木は膳所城の築城に使われたが、天守は彦根城に移築された等、たいへん勉強になりました。
『塞王の楯』では、国友衆の新型大筒が長等山から大津城の本丸を攻撃していた。
大津城址のある右手のビル群まで約1kmの距離だ。
物語の最後の決戦地。
国友彦三郎が大筒を構えた三の丸の尾花川口はこの辺り。
飛田匡介が守った伊予丸の石垣は、正面のマンションの向こうだ。
その距離約200mの激戦地。
お城好きや私の様な素人用だろう。
遊歩道に看板が設置されていた。
『大津城』は、関ヶ原の合戦後、解体され膳所城と彦根城に資材が移設された為、遺構は残っていない。
4層の天守からは、こんな風に琵琶湖が見えていただろうな。
今の大津城本丸跡は、大津港になっている。
石工集団 穴太衆の里
旧北国街道を坂本に向かう。
旧道の古い道を行くと、野面積みの石垣が目につく。
大津市坂本地区が重要伝統的建造物群保存地区だ。
比叡山延暦寺や日吉大社の門前町に、穴太衆の野面積みの石垣を見る事が出来る。
石工職人は、石の形やバランスを考えて積み上げてゆく。
その石垣はガッチリと嚙み合って、1000年経ってもビクともしないそうだ。
小説内での『俺を使え、ココに置け』と石の声が聞こえるって、超越した職人なら本当なのかもな。
ランチは創業1716年の『鶴屋喜八』。
奥の離れで、300年前の穴太積みを眺めながらお蕎麦を頂きました。
『塞王が楯』でのクライマックスである『大津城の戦い』のポイントを訪ねてみた。
実際の距離感を体験し、小説の中で京極高次の人柄などを知ると、戦国時代にも少しは興味を持てそうだ。
彦根に戻ってから、彦根城に立ち寄る。
石垣は穴太衆の施工、天守は元大津城だ。
今日一番の情報は、ここに『大津城の戦い』の遺構が残っていたって事。
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