11月7日

学生時代に熊本県を訪れた時に知っていた観光地は『阿蘇』『熊本城』『通潤橋』の3か所くらいだったと思う。

当時はお城に興味が無かったので熊本城は諦めてもよかったのだが、阿蘇の後にすぐ近くまで来ていたのに、通潤橋を見逃した事をなぜだかずっと覚えていた。

 

熊本市をスタートして国道445号線で益城郡山都町へ向かう。

白糸台地は阿蘇山のシラス地層で水の便が悪く、農耕用水に苦労した土地だった。

江戸末期、矢部地域76村の責任者だった布田安之助さんが新田開発として通潤橋などの用水やため池を作った。

 

周辺には通潤橋の様な石造橋が多く残っているので、併せて見て回ろうと思う。

 

老ヶ滝川を渡る石造のアーチ橋、『通潤橋』は白糸台地へ水を流す疎水橋だ。

石を積んで作った巨大建造物は、しばらく口をあけて見上げる。

農閑期には中央上部から1日1回の放水が行われる。

 

上流から通潤橋に水を流している小笹円形分水。

ゴウゴウを水が湧いてくる所を見るのは好きだ。

 

布田保之助さんの事業のお陰で、山都村は豊かになった事だろう。

毎年9月に行われる八朔祭りは盛大で、竹や杉で作った大造り物を引き回して豊作祈願を行うのだそうだ。

 

江戸末期の熊本藩種山地区には『種山石工』と呼ばれる優れた石工技術集団が居て、多くの石造橋が今も残っている。

通潤橋の施工は、種山石工の橋本勘五郎、弥熊親子で、東京の日本橋や江戸城の二重橋の工事も行った。

 

国道445号線に架かる霊台橋は日本で3番目に大きい石橋だ。

通潤橋と共に国の重要文化財で、橋本勘五郎親子の施工だ。

 

益城群美里町にも二俣橋などいくつもの石造橋を見る事が出来る。

 

美里町には1964年まで南熊本駅から熊延(ゆうえん)鉄道が通っていた。

廃線跡に『八角トンネル』と呼ばれる切通の擁壁補強のコンクリート壁が残っている。

 

さて、美里町から五木村、人吉市までの国道445号線は、九州山地を越える約75キロの酷道だ。

最初の13キロは二本松峠まで標高差1000mを一気に駆け上がる狭小路に急勾配に急カーブの難所区間。

 

峠を越えた人吉側も細い山道を延々と進まなくてはならない。

山道に緊張していたんだろう、途中でようやく紅葉が見事な事に気が付いた。

 

肥薩線の拠点となる人吉駅を訪ねた。

2020年7月の豪雨災害で、JRも駅を共有するくま川鉄道も運休していて、駅前に人影はない。

※くま川鉄道は11月28日より部分運行再開と発表。

 

人吉駅の機関庫も九州にノスタルジーを感じる風景だ。

 

JR人吉駅の隣りは大畑(おこば)駅。

1909年の開通時より蒸気機関車用にループの中にスイッチバックを併せ持つ珍しい駅だ。

今は無人駅の壁に名刺を貼れば出世できるとの噂で、願い事が一杯貼り付けてあった。

名刺を持たない私は名前の前に旅人と書いて貼っておく。

 

国道221号線の人吉ループとえびのループを抜けてえびの駅に到着。

再塗装されているが、1912年開業時からの駅舎は国の登録文化財だ。

 

1990年に改名されるまで、加久藤って駅名だった。

という事は、読みにくい加久藤駅と書かれた案内標識は、30年以上交換されていないって事か。

下はえびの高原、霧島演習場の文字。

看板に従って、えびの高原へ向かった。

 

左は新燃岳、右は高千穂峰。いい景色を見る事が出来たな。

 

硫黄の匂いに霧島温泉郷で温泉に浸かって行く事にした。

前田温泉ガジロが湯、390円 硫黄泉

 

その後、鹿児島に向けて夜道を走った。

301キロ走行

 

 

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