DNAの塩基配列。
こんなもの古代にはなかった。
家系図は男系だという。
男系の家系というわけだ。
これは、裏をかえせば女系が排除されたということになる。
DNAの存在は知らなかったが伝統は守られた。
男系という意識はあったのかもしれない。
あるいは偶然か。
あるいは、女系があったかもしれない。
検証は、必ずしも正しいとは言えない。
だが、古代のことをほじくり返してもしかたない。
皇室の歴史も紆余曲折があったにちがいない。
また、皇室が重要視されてきたことも歴史が物語っている。
国家としての中心が必要だったのだ。
武士の世になっても皇室は存続した。
稀有な事例である。
ここにきて女性天皇、女系天皇が議論になっている。
政治の世界では男系重視に傾いているようだ。
その真意は知る由もないが、この状況で男系に固執するのはいかがなものか。
これからは、天皇は女系に限るとしたらどうか。
新しい伝統である。
皇室の伝統が2000年なら今後の皇室の二千年は女系にすればいい。
変化は世の常である。
こだわることにどれほどの意味があるのだろう。
こだわる人がいる。
これはいつの世もおなじであるが。
アメリカがいつまでも世界一とはかぎらない。
変化を嫌うことは人間にふさわしくない。
人間の叡智は変化を許容することである。
国民の多くが愛子天皇を待望している。
はたして政治は国民を納得させることができるのか。
失敗すれば政権の倒壊ではすまない。
日本人の叡智が問われるときである。