見捨てられた孤独死 | ニムカのブログ

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命を救うべき保健所が、できることはやったと言っていた。

いそがしさの自己弁護であろうか。

違和感を禁じ得ない。

電話一本届くことなく死んでいった。

電話したけど通じなかったといっても、そのときは死んでいた。

どんな気持ちで死を迎えたのだろう。

平凡にこれまで生きてきた人生のおわりである。

これほどまでに無残なことがあるだろうか。

事務的な手続きで死んだ。

なのに保健所は無傷である。

「やるべきことはやった」という言葉に冷たさを感じる。

独り暮らしの老人の死であった。

コロナに感染して自宅待機であった。

保健所の業務ひっ迫は縄張りのためである。

保健所は仕事を抱え込んで他にまわさない。

縄張り根性である。

かっては27.5度、4日以上という悪名高いフロントであった。

平時の業務は平穏なものであったろう。

コロナ感染で独占的立場に置かれた。

そして1年余り。

誰にも邪魔されない専門分野の最前線であった。

誰も保健所に注文を出すことはない。

クラスター対策として命さえ扱うことになった。

そして、その職場は開放されなかった。

保健所の人員を3倍に増やしていたら、ひっ迫することはなかったろう。

一人の人の死はコロナ対策のひずみを奇しくも明るみに出した。

日テレの報道では保健所に対して同情的であったが、

死んだ老人に対しての想いは語られることはなかった。

これはコロナ禍の非常なる悲劇である。

コロナによる死と自殺者とが比較されることがあったが、

この事例をしても同列に扱えるものだろうか。

どんなにか無念であったことか。

この悲劇は人災と断定せざるを得ない。

オリンピックにどれほどの価値があるのか。

一人の老人の命を救くえずなぜオリンピックなのか。

オリンピックは一人の命さえ救えない。

オリンピックに費やす力をコロナに向けたら何人の命が救えるだろうか。

菅総理の所信はなんらの感動を呼ばない。

国会は自民党の圧倒的多数である。

天皇も彼らを国民の代表といっていた。

だったら、代表らしくしてくれよ。

コロナもオリンピックも大詰めに来ている。

一人一人が代表なのである。

今なさずしていつやるんだ。

結果はもうすく出る。