皆さんこんにちは!!
日本一時帰国中のJoy in Manipurです
今日もブログ『インド北東部山岳部族に嫁いだ私』を覗いてくださってありがとうございます
今回、インド北東部州マニプールで結婚して以来はじめて日本に一時帰国してしみじみ感じていること…たくさんあります。
今日はそんなことをブログで皆さんに共有したいと思います。長文です。
私は高校卒業後すぐイギリス🇬🇧に留学し、その後もオーストラリア🇦🇺やインド🇮🇳といつも日本の外で暮らしてきました。
結婚する直前に1年弱ほど日本に居ましたが、今回結婚してはじめて夫と子どもたちと日本に来てすごく感じたこと、それは日本人は他人との関わりを(極力)持ちたがらないということです。
私がいない間に実家周辺も大きく変わり、アパートが多くなった近所を家族で歩いて居る時にいつも思うのは、外にぜんぜん人が居ないそれから、皆さん家に住んでる気配が全く感じられない
もしかしたら地域によってはご近所さん達の交流がある所はあるのかもしれませんが。
いやいや、ママチャリとかこどものトライセクルとかが外にあったり、洗濯物が干してあったりと(ジロジロ観察していてすみません)、絶対に人は住んでいるんだろうけども、多分お仕事や学校などで留守なのかな
なんて思いを巡らせています。
それほど奇妙なほどに静かなんです。近所にこどもの姿も見えないし、私たちがこどもの頃はいつも暗くなるまで外で遊んでいたのに、今はこどもを見ることがまったくない‼️
(でもたくさん物騒な事件があるからみんなあまりオープンにしたくないのかもしれないし、もしかしたらすごくオープンな地域もありかもしれませんし、まぁ一概には言えませんが)

マニプールの私たちが住む地域では、家のバルコニー?のような場所で老夫婦が談笑していたり、親が子をあやしていたり、宿題をしていたり、おじさんが何やら作業をしていたり、洗濯していたり…とにかく生活感丸出し
お葬式だって大音量のマイクで司会進行して歌をうたって
静かな時なんて無いくらいです。
最近は雨季ではないのでだいたい電気は通っているので停電で部屋が暗いとかの問題ではなく、外の開放感や太陽の光を好んでそうしているのだと感じます
また、夫が話しているのは、日本で働くと、うちらが暮らしている地域の収入に比べて極めて高収入を受け取れるけども、結局、税金や高い生活費を払うことになるし、それらを払って現地に仕送りなどをしたらあまり手元に残らないよね、と。日本で暮らせば、マニプールの田舎で日雇い労働などの不定期な仕事をするよりかは明らかに安定している生活を送れるけども、自分にとって生きていくうえで大切なのは人との関わりや助け合いかな、ということ。
例えば、マニプールの私たちの暮らす地域も夫の実家の村でもそうですが、誰かが体調を崩したり具合が悪い時に薬💊などが無かったら、なんの気無しに隣家に薬があるか伺えるし、普段食べるものは殆どお金を払わずに手に入る(畑の収穫物)🌽🍄🌶️🌰から、そういうものを躊躇なく隣近所に分け与えるし、自分たちも貰う…そういう関係がいちばん大切だというこどですね。
私も若い頃から日本よりも海外に興味があり、それも田舎や農村(イギリスも北部ヨークシャー州の丘陵地帯が大好き)にいつも惹かれていました。仕事も農村に関すること。また、結婚、出産、子育て…と人生の大切なイベントを異国インドのこれまた秘境のマニプールで過ごし、たくさんの人々が支え合って生きている現地の環境を無意識に受容し、それを心地よいと感じて慣れている自分がいることに改めて気づきました。
なので、たくさん屈折してきましたが、マニプールにたどり着いたのはなるべくしてなったのかな〜なんて日本に来て余計に思っています
でも、日本も戦後や昭和期はこんな感じだったという話も聞くので、後何十年かしたらマニプールやインド農村のこの文化も消えていってしまうのかも、と少し心配でもあります…
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます😊
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