最近、自分がいかにビジネス社会から遠のいているかを実感。。

これはまずいとリハビリがてら、日経とビジネス誌などを読みあさってます。

 

そんななか、世界情勢に疎い自分でも、ブレグジットやトランプ政権の動向は流石に気になるもので、大きな動きが生じているものと感じます。

 

国際社会の動きは、イチ地方公務員にはあまり関係のない話と看過していましたが、内輪にばかり目を向けていて重大なことを見過ごしてしまうのではないかと怖いものがあります。とはいえ、実際に自分たちにどんな影響を及ぼすのか、それに対して何ができるのか、さっぱりわからないのですが。

 

自分の分を超えた事象には関与することは無駄、という考え方も合理的と思いますが、そうした無関心や逃げは、極端な主義主張を展開するかのポピュリズムと同根のようにも思えます。アメリカに限らず、フランスやオランダでも極右政党の躍進が見られるそうですが、世界は思った以上に危うい状況なのかもしれません。

 

思うに、個人の利益を100%代弁することや、未来を見据えた最も正しい政治選択というものは存在しえないのでしょう。であるとすれば、国民が選択するべきことは何か、行動すべきことは何か。あるいは、行政職員としては違ったモラールにより行動すべきなのか。

 

他国や異文化に対して、穏健で、人道的で、寛容な選択はもちろん存在する。その正しさと綺麗さは誰もが認めるところだ。しかし、寛容には、リスクを許容するだけの強さが必要であることも事実だ。

 

力なき綺麗事を偽善とするならば、平和で安穏と暮らす我々の政治的無関心もまた偽善なのだろうか。

 

ずっと、このままではいられないという予感がある。

厳しい選択を迫られるにせよ、偽善を貫くにせよ、強くならねばならぬ。

寛容であることも、優しくあることも、力がなければなしえない。

そんな思いにかられる。