地元金沢に戻り、1年ぶりにお稽古に行ってきました。

 

・会での合奏曲の練習(今年1年、会でのステージで使う)

・あいや節の長い節の唄付け

・唄の指導(8月のステージで唄い手が足りないとか。。)

・今年のイベントの話

・東京とは違う三味線の響き(湿度の違いか?)

・久しぶりに聞く師匠の三味線

・1年間で20人も増えたお弟子さん!

・しばらく見ないうちに急に背が伸びた中3男子

 

すごく新鮮な感じです!

 

新しい職場での仕事もこれから始まり、

「三味線にどう関わっていこうか、これ以上得られるものがどれだけあるのか、会の行事に参加していく余裕があるのか」

 

と、ややネガティブな心持ちであったものの、これからも楽しんでやれるんではないかと思えてきました。

 

これから新年度、三味線生活もスタートです!!

一年間の東京生活を終え、再び金沢へ。


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あっという間の一年だった。

この一年を総括したいところですが、生活リズムが安定せず、バタバタとしていて頭の中もとっちらかっていて上手くいきません。

地味〜なことですが、健康と精神の安定と生活リズムって大事ですね。それだけで何かができるわけではないけど、それらが揃っていなければ何事もうまくいかない。

では、それが崩れてしまったら、どう立て直すのか?


 ただでさえ、次々に課題やトラブルが降ってくる現代人には、そうした困難に対処して生産性と回復力を維持するとともに、創造性をも発揮することすら同時に求められる。

全てのリスクに前もって対応することはできないし、様々な困難を跳ね返すだけの強靭な肉体と精神を誰もが持ち得る訳ではない。

ストレスフルな現代社会を生き抜くには、傷ついてもそこから回復するしなやかな強さ、いわゆるレジリエンスが重要な資質なのであると身をもって実感している。
週末は、津軽民謡 津軽三味線の巨星お二方のステージを観させていただき、翌日は津軽三味線サークルさんのボランティアステージに参加させていただきました!

インプット&アウトプット(笑)ですね!


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他の出演者の方々も素晴らしい演奏でした!
ここまで津軽民謡漬けのステージも久しぶり


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ボランティアステージは、両国の介護施設でした

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浅草は標識まで違う


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ボランティア後の打ち上げにて、マルベリーのワッフル♫


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両国の観光案内所のような施設、何て名前だったか? 土俵!

最近、自分がいかにビジネス社会から遠のいているかを実感。。

これはまずいとリハビリがてら、日経とビジネス誌などを読みあさってます。

 

そんななか、世界情勢に疎い自分でも、ブレグジットやトランプ政権の動向は流石に気になるもので、大きな動きが生じているものと感じます。

 

国際社会の動きは、イチ地方公務員にはあまり関係のない話と看過していましたが、内輪にばかり目を向けていて重大なことを見過ごしてしまうのではないかと怖いものがあります。とはいえ、実際に自分たちにどんな影響を及ぼすのか、それに対して何ができるのか、さっぱりわからないのですが。

 

自分の分を超えた事象には関与することは無駄、という考え方も合理的と思いますが、そうした無関心や逃げは、極端な主義主張を展開するかのポピュリズムと同根のようにも思えます。アメリカに限らず、フランスやオランダでも極右政党の躍進が見られるそうですが、世界は思った以上に危うい状況なのかもしれません。

 

思うに、個人の利益を100%代弁することや、未来を見据えた最も正しい政治選択というものは存在しえないのでしょう。であるとすれば、国民が選択するべきことは何か、行動すべきことは何か。あるいは、行政職員としては違ったモラールにより行動すべきなのか。

 

他国や異文化に対して、穏健で、人道的で、寛容な選択はもちろん存在する。その正しさと綺麗さは誰もが認めるところだ。しかし、寛容には、リスクを許容するだけの強さが必要であることも事実だ。

 

力なき綺麗事を偽善とするならば、平和で安穏と暮らす我々の政治的無関心もまた偽善なのだろうか。

 

ずっと、このままではいられないという予感がある。

厳しい選択を迫られるにせよ、偽善を貫くにせよ、強くならねばならぬ。

寛容であることも、優しくあることも、力がなければなしえない。

そんな思いにかられる。

「三味線をやってるんですー」と言うと

九割方、「何年やってるんですか?」と聞かれる。

休止期間等もあったので、「10年ちょっと・・・」とお茶を濁してきたが、ついに15年に到達したことに先日気がついた。

 

15年、、、長い。

いつの間にそれだけの年月が経っていたのだろうか。

よくよく考えると、そこまで長く続けていることは他にない気がする。

 

べつに長く続けていれば偉いとか凄いとかいうことは全くなくて、結局は何をなしたかと、今どんな三味線が弾けているのかということだと思う。

 

とは言いながらも、20年、30年と続けられていて、ずっと会派を支え続けてきた方を見ると尊敬の念を抱かずにはいられない。前言に逆行するが、会への貢献はもちろん、一つのことを長く続けるということはそれだけで凄いことだと感じるのだ。

 

誰にでも人知れぬ事情や苦労がある。

仕事もあるし、家庭の事情もある、健康問題もあるだろう。

辞める理由、休む理由には事欠かない。

 

社会に出て、年月が過ぎるほどにそれがわかるようになってきた。

だからこそ、先輩方を敬い、後輩たちを支えられればと思う。

 

そのうち、三味線を弾いてからの年月の方が長くなる時が訪れる。

その時、自分はどうなっているだろうか。そもそも三味線を続けているだろうか。

演奏に込める思いはどんな色をしているだろうか。

 

今から他人事のように楽しみではある。