ウマと僕と校庭で
さあ、今週はとうとう金鯱賞がやって参りますね。皆さんはどの馬に夢を託しますか?僕?僕の夢はハンバーグで出来た家でロバート・ロドリゲス映画を死ぬまで見続けること!
いやあ素敵だな〜肉々しさに包まれながらダニートレホが暴れまくるさまを存分に堪能する。思わず「優トレホに包まれて」という楽曲をリリースしてしまいたいくらいです。
さて大して知名度のない競走名から始まりましたが、薄々皆様は勘づいていらっさるかと思います「ああ、コイツぁバカなのだな」と。否、今日は競馬の話なんだな、と。
ロバロドとかハンバーグとかは無視して下さいその方が賢明ですし、僕がホッとします。
ということでウマと僕の出会いを含め(全く興味がなくても)勝手に思い出ばなそうと思います。
1987年スプリングステークスの衝撃
時は19世紀末、ロンドンの街中を震撼させたかどうかは知りませんが、僕と競馬の出会いは今からおよそ30数年前の中学2年生に遡ります。
中2なんてもう小学校の子供っぽいバカに多少の反抗期(お父さんを親父と呼ぶ等)のエスプリが混ざった、成長したバカ。いわばバカのサラブレッドです。そのバカブレッドがクラスに20人も集まれば、文殊の知恵さえ一瞬で腐敗する「バカの運命共同体」たり得ることは必然であるわけです。
そしてそんな空間では「なんかよくわかんないもの」が大流行するのも世の常。
ランカシャースタイルの本格的レスリング(特にどこも目指してはいない)を昼休み中繰り広げたり、瞬間接着剤を大量に使用して謎の巨大グミを(授業中に)作成したり…
皆さんも多少の覚えがあると思います。
そんな中、ある日の昼休み(くだらない事は大抵昼休みに作られ、そして実践される)バカの中でも比較的頭脳派のK君がバカメイト達を呼び集め、古新聞のようなものを指さして言うのです。
「この馬が強い」
なんの前置きもなしに力強い眼差しでもって宣言された僕らはただただ驚愕し口を揃えてこう言うしかありません。
「その馬は強い」
K君は続けます
「メリーナイスというんだよ」
僕らは呆然と答えます
「メリーナイスというんだね」
英語の教科書もケンもハナコも真っ青なブロークンジャパニーズ。そして昼休み終了を告げる非情なる鐘の音。
ここで皆に明らかになったのはK君が指さしたのは新聞で、メリーナイスという名前がそこに記されていることだけでした。だってバカなのだから。
その後、それは馬がたくさん走るのだということと、徒競走のように勝ち負けがあるのだということ=競馬ということは独学で知りました。
その週の日曜日、バカなりにK君の発言を気にかけていた僕はテレビの前でパンツ一丁スタイルズで寝転んでいた父に”メリーナイスはいつ走りますか?あなたはなぜパンいちですか?”と問いかけました。
”15時くらいのレースで走るのだ。なんならパンゼロになってやろうか?”
脅迫めいた言葉に涙目になりながらも、どうやら父もある程度の馬キチであったらしく「お前にしてはなかなかの予想だが、まだ勝負事をわかっちゃいねえ」と嬉しそうに腹掛けにしていたスポーツ紙を手にして解説をはじめましたがうわ〜いってることがなにひとつわからない
さらに涙目になっているとテレビ画面には「スプリングステークス」という文字とともに何頭もの馬が青々とした芝生の上をウロウロしていたのです。
これが競馬!と驚いていると「焦るない!あれは勝負の前のウロウロだ」と父。
そんな言葉を遠くに聞きながら僕の涙目は近所の農家に繋がれている馬とは大違いなツヤツヤの馬体に釘付けでした。
スタートが切られ、最後の直線まではあっという間でした。
そのレースをまるでゲームのような瞬間移動で差し切ったウマを観て思わず歓声をあげていました。
この馬こそがマティリアル。僕が初めて競走馬を美しいと感じ、そしてのちに追い込み一辺倒の馬だけを愛し散財する後方殿おじさんとなるキッカケを作る馬なのでありました。
ちなみにK君イチオシのメリーナイス(四白 流星 六馬身のポスターで有名)は後方で伸びず9着でした。更にちなみに父親の推していたのは後の京王杯オータムハンデでマティリアルと再戦することになるリワードタイラントでした。シブっ!
終わりに
とうことで長いだけの思い出話だったわけですが、本当はこの話から今現在のウマ娘というゲームに対する感想を書こうと思ってたんだよ!自分のまとめベタに死にたくなる!
なので続きは後編です。
懐かしのダビスタの話も出てくるよ!
茶色い豚みたいだけど超kawaii!!