打算的になりすぎず、意味のないことでもやってみる
ヘンな趣味
1986年。昭和でいうと61年。
漫画キン肉マンでは、キン肉星王位争奪戦が佳境を迎えていたころです。
ゆでたまご著『キン肉マン』34巻(集英社)
当時私は小学6年生。
キン肉マンやファミコンに夢中になっていました。
それともう一つ。私には独特の趣味がありまして。
「一人で電車に乗って、あちこちに出向く」という趣味がありました。
撮り鉄ならぬ「乗り鉄」に近い感じ。
鉄道の路線図を見ることが好きだったんですよね。
この駅でこういう乗換の仕方があるんだ、今度行ってみよう、とか
この駅の周りはどんな様子なんだろう、途中下車して歩いてみよう、とか
土曜日の午後や日曜日を使い、千葉~東京近郊いろんな路線に乗り、いろいろ行きましたよ。
この行動、親からはあまりよく思われてなかったみたいで「当てもないのに、遠出するもんじゃない」と叱られた記憶があります。
親からすれば「意味不明の行動」に見えたのでしょう。
ただ、当時の自分としては、そこにワクワクを感じてたんですよね。
確かに何の意味があるのかはよくわからない。
でも、一人で切符を買ってあちこち出向く、
知らない駅で降りて、周辺をただ歩く
その行動自体が魅力だった
冒険心をくすぐられた
あれこれ考えず、好奇心に従って動いていたんです。
「意味がない行動」の意味
今、当時を振り返ってみて。
こういうのって大人でも必要だと思うんですよね。
何か行動する際、意味を考えすぎない
何かにつけて打算的になりすぎない
損得を考えすぎない
我々って、大人になるにつれて打算的になっていく生き物です。
それをやることでどんなメリットがあるのか
何の役に立つのか
カネになるのか
コスパがどうのこうの
といったように、損得勘定重視で考えるようになりますよね。
確かに、それらも必要かもしれません。
しかし、あまりに打算的になると、人生味気なくなると思うんです。
やる意味がないからやらない
カネにならないからやらない
それで本当にいいのだろうか…
別に意味などなくても、
別にカネにならなくても、
純粋にやりたいのならそれは価値があることではないか?
一見、何の役にも立たないことでも、それがワクワクすることならば、人生の質を上げてくれるのではないか?
直感的に、
これいいな、やってみたい、おもしろそう
といった気持ちが生じたならば、
あまり損得考えすぎず、行動していったほうがいいともいえます。
たとえ意味などなかったとしても、本人が満足できるなら、それ自体意味がある行動だといえるのではないでしょうか。
私のFacebookの友人で、女装が趣味という40代の男性がいます(確か彼もキン肉マンが好きだったと)
トランスジェンダーというわけではなさそうなのですが、メイク道具をそろえて、実際にメイクして、ネイルもして… といった投稿を時々しています。
それを見て「女装して何の意味があるんだ?」と感じる人はいると思います。
でも、意味のあるなしじゃないんです。
女装する行動自体が彼にとって意味があるのであって、周りがとやかく言う話ではないんですよね。
“味気ある人生”を送るために
今、生きていてなんとなく「味気ない」と感じる大人は多いと思います。
型にハマったような、
誰かが用意したレールに乗っかったような、味も素っ気もない人生を送っていると。
その要因は、「大人になりすぎてしまったから」ではないでしょうか。
つまり、損得勘定にとらわれすぎて、自分でワクワクすることを抑えてしまっているから、
直感的な行動を打算的思考で抑えてしまっているから、
というのが一因としてあると思います。
人生を「味気あるもの」にするには、
自分の中から湧き出てくる声に敏感に反応する、
打算的な考えでそれを抑え込まない、
たとえ周りから「そんなの何の意味があるんだ」と言われてもやり続けること、なのではないかと思います。
それが引いては「自分を生きる」ことにつながるのではないでしょうか。