こうして「残虐超人・カレクック」は誕生した | 『肉イズム』~女房を質に入れてでもあなたに伝えたいこと~

『肉イズム』~女房を質に入れてでもあなたに伝えたいこと~

さあ、今こそ少年時代のワクワクを取り戻すときだ。

人生の描き方は無数にある

 

 

前回に引き続き、カレクックの読み切り。

 

ネタバレになってしまいますが、意外なエンディングでした。

 

シン(カレクックの本名)は頭載格闘術(マーラレスリング)の免許皆伝の条件として向こう1年間、

「怒りを我慢せよ」

「絶対に頭にカレーを載せるな」

と師匠から言い渡されました。

 

しかし、残り1日我慢すれば免許皆伝、となったところで、やむにやまれぬ事情により、約束を破ることになってしまいました。

 

週プレニュース「キン肉マン超人列伝 カレクック~愛と怒りの聖人~の巻」

 

カレーを頭に載せてしまったんです。

「約束を破れば破門」とわかっていた上で。

 

シンは約束を破り、外道を選んだ。

そして、残虐超人・カレクックとして生きる決断をした。

 

彼は後に「世界3大残虐超人」の一人となるわけですから、その意味では今回のストーリーのエンディングは大きくうなづけるものです。

 

週プレニュース「キン肉マン超人列伝 カレクック~愛と怒りの聖人~の巻」

 

憎き敵を血祭りにあげ、人々に恐怖を植え付けて去っていくカレクック…

 

今回の読み切りは、確かにハッピーエンドではありませんでした。

 

かといって、バッドエンドだった、ともいえません。

彼の取った選択により、ヒロインのミーナを始め大勢の人が救われたのですから。

 

ストーリーのエンディングとしては、今までになかった形。こういう終わり方もあるんだな、と。

 

「物語というのはハッピーエンドだけではない。

ハッピーエンド、バッドエンド2つだけでもない。描き方は無数にあるのだ」

と知ることもできました。

 

 

 

「描き方は無数にある」

 

 

これは我々の人生にもいえることです。

 

それぞれがどのような道を歩んでいくか。

生き方や道のりは一つや二つではない。無数にあるということ。

 

 

プロレスラーの道のりもそうです。

 

昭和から平成初期のプロレスラーといえば、

まず団体に入門し日本国内でデビュー、

2~3年の下積みを経て海外修行へ、

海外で実績を積んだ後、凱旋帰国しトップレスラーへとのし上がっていく、

といった道のりが定番でした。

 

レスラーとしての成り上がり方に、ある種「型」があったんですよね。

 

今でもそうした「型」に沿ってのし上がっていく選手もいますが、型破りというか、型にハマらない選手もいます。

 

小橋建太や棚橋弘至のように、海外での長期修行を経験しないままトップレスラーへとのし上がっていく選手もいる。

マサ斎藤やザ・グレート・カブキ、ケンドー・ナガサキのように海外へ行ったまま定住する選手もいる。

邪道、外道のようにインディー団体でデビューし、さまざまな団体を渡り歩きながらメジャーへとのし上がっていく選手もいる。

 

レスラー人生の描き方にしても一つではない、二つでもない、無数にあるということです。

 

 

 

型が崩れた時代の中で

 

 

「描き方は無数にある」

 

 

そして今後の世の中は、ほとんどの人に当てはまる話だと思います。

 

人生の描き方は無数にある、と。

 

コロナ騒動で今世界は混とんとしていますよね。

 

経済への打撃がすさまじく、淘汰される業種・会社が出てくるのは免れない状況です。

これから先、中小企業が次々に倒産し、失業者も増えてくるでしょう。

 

「会社があって、そこで働き給料をもらって生活する」

今まではなんとなくそんな型がありましたが、今まさにその型が壊れようとしています。

 

昭和で確立され、平成までなんとなく続いていた生き方のレールは今まさに崩壊しようとしています。

 

否応なしに型が崩れ、いよいよ自分でレールを創っていかなくてはならない時代になってきた感があります。

 

私も以前からその予兆は感じていたし、似たような話もブログでしてきたかもしれませんが、いよいよ本格的に時代が動いてきたな、と。

 

 

「自分でレールを創る? どうしていいかわかんねえよ…」と思われるかもしれません。

 

私も同じく不安に感じます。

ほとんどの人がそうでしょう。

 

仕事や人との交流、夢や希望を打ち消された世の中で、どう生きていけばいいのか?と。

 

 

 

自由に描くチャンス

 

 

最初に戻りますが、

シンは約束を破ったため、よりどころにしていた頭載格闘術(マーラレスリング)を破門になりました。

 

免許皆伝の希望は絶たれたわけですが、それは同時に「残虐超人・カレクックとして、自由に暴れまわれるチャンスを得た」ともいえます。自由に超人人生を描けるチャンスを得た、と。

 

我々も同じく、たとえ会社など“よりどころにしているもの”がなくなったとしても、それは見方を変えれば「自由な発想で人生を描くことができるチャンスを得た」ともいえます。

 

しばらくは茫然自失となるでしょうが、

よりどころとしていたものを失ったということは、「取り巻くしがらみから解放され、自由に生き方を描くチャンスを得た」ということでもあります。

 

 

私は23歳の頃、腰痛を機に1年ほどニート生活を送っていたことがあるのですが、そのころによく聴いたのが、ジ・アルフィーの『希望の鐘が鳴る朝に』という曲でした。

 

その曲のサビに「君だけの生き方がある」という歌詞がありました。

 

この曲、このサビの部分を繰り返し聴いて、「型にとらわれずいろんなことに挑戦してみよう」と勇気づけられたものです。

 

君だけの生き方がある…

 

誰かと同じでなくていい、

型から外れたっていい、

 

生き方は一つや二つではない、

ストーリーのエンディング同様、その描き方も無数にあるということです。