店主アトムの家庭は、建てたばかりのマイホームと大企業勤めを捨て、実家の家業を継ぐために愛知県から岐阜県高山市へ引っ越すことになりました。


高山の実家は、民芸品を作っていました。
それ以前は、掘りごたつを作っていたようです。

表にとても古い「特許冨樫式ストーブ」という看板が貼ってありました。

これは、牧を燃やして温める掘りごたつで、昔の雪国の高山では重宝されたのでしょう。
しかし、当時はすでに便利な電気ごたつに駆逐されて、民芸品にシフトチェンジしていたのでした。



■方言を知る
さっそく新しい保育園に行って、驚いたのが方言の壁です。

今まで通りにおもしろそうな遊びをやってる子たちに「いーれーてー」と声をかけると、
「何言ってんだ?」と怪訝な顔をされ、無視されました。

言葉が通じない!
これは衝撃でした。

そして自分はこの後の引っ越し続きも相まって、回りの空気を読みつつ相手に合わせてしゃべっていく能力を身につけていきます。
この能力は、その後中国に行って日本語教師をするときに役に立ちました。
自分の日本語は、回りの日本語教師の先生たちの中で一番なまりがない、と言われました。

人生、どの経験がどう生きるかわかりませんね。
一つだけ言えるのは、人生にムダはない、ということでしょうか。



■神社や大自然で遊ぶ
家のすぐ後ろには、小さな川を挟んで神社と裏山がありました。
最近調べたら、そこは氏神さまとタカミムスビ様を祀っている神社でした。

そこでよく遊んでいました。
神社の境内の下のほこりっぽさ。

そこにいるあり地獄。

鎮守の森と言ってよいような原生林。
春はつくしやわらびなどの山菜を取ったり、秋は木イチゴをたべたり。

保育園の裏山にはハンミョウがいました。
図鑑でしか見たことがなかったハンミョウの美しさ。

カマキリ、カミキリムシ、タガメやナナフシなど多種多様な昆虫たち。

これぞ田舎という田舎。
10年ほど前に一度行きましたが、ほとんど変わっていませんでした。

しかし、子どものころにあれほど大きなイメージで記憶していた風景が、大人になって、20数年ぶりに見ると、随分こじんまりと見えるのでした。


■クツの神隠し
ある日、近所の友達と弟と三人で、神社の裏の小さな排水溝にクツを脱いで入って遊んでいました。
水はくるぶしにも届かないくらいで、水流もとてもゆるやかでした。
しばらく遊んだ後、帰ろうとすると、クツがないのです。

しかも自分のだけ。
脱いだ場所も覚えていたのに。

仕方ないので歩いて帰りましたが、なぜなくなったのか、本当にわかりませんでした。


■ファーストキス
自分より後にとびきりかわいい子が転入してきました。
一目ぼれでした。

毎日、会うのが楽しみでした。
ある日、ドサクサまぎれに唇を奪いましたw。

これが自分のファーストキスでした。
子どもってすごいです。


そういえば、健康診断が保育園であって、
誰かが「保母さん達が健康診断してる!○っぱいまるだし!」と言ってたので、
職員室的なところにいったら、本当にまるだしだったのも鮮明に覚えてますね。
あれは、お医者さん不自然な役得してたなあ、と今は思えてなりません。
そういうおおらかな時代だったのでしょうか。



■スピード狂時代
山の多い飛騨高山で、ある日自分は思いつきました。

あの山の一番上から自転車で最高のスピードを出そうと。

友達と弟の三人で、歩いて一番上まで行きました。
「よし、行ってくる」と自分は、最高速を出すべく自転車に乗り坂を下りました。

はじめは勢いよくこぎ始めましたが、すぐに空回りしてこげないスピードになりました。
スピードが高まりすぎて、ハンドルがブルブルブルブルと振動しました。

しかし、目的は最高のスピードです。
スピードを体験するためにブレーキも握らずに突っ走りました。

もはやハンドルを支えきれないほどのスピードになったと思った時、
無情にもカーブがやってきました。

ドシャーン。

ぶっこけました。

唇が地面にこすれるのを感じました。

顔がシンシンシンシンするので手で覆ってみると、手が真っ赤になりました。
顔面から血が大量に流れていたのです。
痛みはありませんでした。
ただシンシンシンシンと血が出てきていました。


すぐに近くの家のおばさんが出てきて、救急車を呼んでくれました。
その後の記憶はありません。


結局、骨折も何もなく、たくさんの擦り傷ができたくらいで済んだのですが、この体験は「スピードは危険だ」という刻印を自分に深く残しました。


その後、大学生の頃、自動車教習に行って、スピードを出してカーブのGを体感する実習で、
教官に「もっとスピード出して!もっと!」と言われ、
「もういい。あんたスピードよう出さん」とあきれられたほどです。

今でもたまに車に乗って加速してブレーキが効かなくなって困る夢を、年一回くらいみます。



しかし、これまだ小学校上がる前ですが、このころになると記憶の量はどんどん増えてきますね。
書いてるうちにどんどん思い出されてきます。
きりがないので次回からペースをあげたいと思います!


■1980年

前回の手のはなしも、今回のはなしもすべて1980年の話です。

なんでわかるかというと、当時鉄棒にぶらさがりながら、「今は1980年だ。これをずっと覚えておこう」と強く思ったからです。
その時の情景が今も思い出されます。

まさか今日この日のためにあの時思っていたとは、知りませんでしたが。

また、この後、岐阜県高山市に引っ越しをするので、甚目寺の昭和保育園の情景は、1980年、4才の記憶しかありえないのです。

今回は1980年の記憶の断片をたどっていきたいと思います。


■神仙瞑想

当時、お昼寝の時間がありました。

今は日本シエスタ推進協会初代会長を名乗っているほど昼寝好きなのですが、当時は昼寝の時間が苦手でした。

「そんなに簡単に寝れるか。だいたいすぐおきなあかんやん」とか思いながらいつも寝れなかったのです。

仕方ないので目を瞑って、机に突っ伏して、手に目を押しあてるのでした。
そうすると、まぶたの裏に真っ暗やみの中、いろいろな色が浮かぶのです。

青、紫、赤、黄色、いろいろな色の変化を楽しんでいると・・・・。


決まってこういう世界が見えるのでした。

毎回違う場面がみえて、この世界にトリップするのを楽しみにしていました。
小学生くらいまではよくやってましたね。

今思えば瞑想の一種だったのかもしれません。


■好きな子

好きな子もいました。
体操とかするじゃないですか。

自分はその子を後ろから見て、手を伸ばす角度とか、動かし方とかが、同じになるようにしていました。
完全に同じ動きができたとき、その子も自分のことを好きになるという信仰がありました。

これってある意味ペーシングといわれるコミュニケーションスキルですよね。
本能的にそれを知っていたのかもしれません。



■エビ

なんかよく頭痛になっていました。
すごく頭が痛いある日の給食が、八宝菜だったのです。

その中には、家の食卓に出たことのない未知の食材が使われていました。

それがエビです。
あの小さい、カップめんとかに入っているようなやつです。
「なんじゃこれ」と思いながら、食べたら、頭痛で気持ち悪かったのもあって、戻してしまいました。

以来、エビが好きではありません。

大人だから食べられないことはありません。
でも、うまさ以上に深層意識が危険を知らせてくるので、未だに基本は食べません。
食べるのに勇気が要って、おいしさを純粋に味わえないのです。

エビ好きの人も多いので、自分の分をあげるとだいたい喜ばれるのでいつもそうしています。

肉まんアトムにエビメニューがないのは、このトラウマのせいです。


■空中浮遊

このことは、自分しか覚えてないし、墓場まで持っていこうかと思いましたが、せっかくの機会なので勇気を出して書いてみたいと思います。

ある日、お腹が痛くて、遊びの時間も座って休んでいました。
保母さんも「どうしたの?」なんて聞いてくる中、お腹の痛みに耐えながら座っていました。
保育園でトイレ大をするのは、自分の中では敗北。

普段はそうやっていれば、やがてお腹の痛みも治まったりしていたのです。

しかし、その日は違いました。


強烈な一撃をくらったと思ったその刹那、自分の身体は宙に浮き上がりました。


わかりますか?
ウ○コで身体が持ち上がったのです。
やわらかく、そして生温かい物体でパンツと半ズボンがいっぱいになったのでした。

そして、浮いたと思った瞬間、保母さんが自分を抱えてトイレに運んでいました。


これが自分の最初で最後の空中浮遊体験です。
忘れようとしても忘れられませんw。



レゴで人間に似せた「ゲンゲン」を作ったり、すぎうらいさおくんがとてつもなくでかい耳クソが出て「耳取れた~」と泣いてたりと、いろいろありましたが、1980年の記憶はこれくらいでしょうか。


この後、まだ小さい自分は引っ越しをたくさんすることになります。
さあ、肉まんアトムはいつできるのかw。


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本日もスペシャルゲストのご来店がありました!





西宮・苦楽園でヘアーサロン 「to SHINE」を経営されている鈴木夫妻様です。


すでに独立開業後1年半。
自営業の大先輩です。


お互いにお店をより繁盛さえる情報を交換しつつ、肉まんアトムのフルコースを味わっていただきました!

ありがとうございます!

奥さまはだいぶお腹が大きくなっていて、
いよいよ楽しみですね。

肉まんアトムで食事のあと、夫婦で京セラドームでB'Zのコンサートへ向かわれました。
お腹の子もノリノリだったのではないでしょうか。


そうそう、京セラドームも肉まんアトムからそこそこ近いんですよ。

25分くらい歩けばつくかもしれませんw。

京セラドーム、USJ、サムハラ神社。
ちょっと離れてはいますが、もし行く機会があれば、肉まんアトムにもぜひお立ち寄りください!




今日はQさんファンの男性もご来店。
肉まんアトムへは二度目と。

8月9日のセミナーに参加するつもりとのこと。
9名限定のVIPコースのことも話されていたので、秘密を教えさせていただきましたw。





肉まんアトムへの道は、不定期連載とさせていただきますね。
次回は幼稚園年少時代の記憶を書く予定です。




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今日から7月。
2015年も下半期。後半戦に突入です。

その第一目ですので、新企画として、「肉まんアトムへの道」と題して、肉まんアトムができるまでのストーリーを綴っていきたいと思います。

それでは、はじまりはじまりー。



■生い立ち

自分は1976年4月7日に、愛知県稲沢市で平凡なサラリーマン家庭の長男として生まれました。


幼少期から神童だった。
というようなことは特になく、
でも回りから愛されて育ったようです。
幸せな幼少期でした。


おかんに言わせると、「あんたは聞きわけがよい子だった」とのこと。

「あれじゃなきゃやだ」とか「あれが欲しい」とか子どもってイヤイヤするじゃないですか。
それがなくて、「ダメよ」とさとすと素直に従う異様に聞きわけのよい子だったそうです。


自分の基本的には戦わず、流れに逆らわない脱力した生き方は、
後天的なものかと思っていましたが、どうやら生まれつきだったようです。



ダメなものはダメとして切り替える、というのは精神上とても良いと思うのですが、
回りの人からは、「すぐあきらめる」とか「努力の才能がない」とか、「脱力王」とか「無能の王様」とか「歩く潜在意識」とか言われて、思わぬあつれきを生んでしまうこともあります。




まあ、とにかく楽しくて、この世の挫折など全く知らない宇宙と完全に一体だった幼少期を過ごさせていただていたのだと思います。


■はじめての挫折


しかし、保育園に通いはじめたある日、それまで全幅の信頼を寄せて、疑いもしなかった宇宙がいきなり牙をむきました。



保育園で、たぶん外に散歩か遠足に出る日だったと思います。
引率の先生が「となりの人と手をつないで」と言いました。


自分は何も考えずとなりの女の子と手をつなぎました。


その瞬間!


その女の子はビックリして、バッと手を振り払ったのです。

そして汚いものを見るような眼をして、
「気持ち悪い、あなたとは手をつなぎたくない」と言いました。

手をつなごうとしても嫌がって逃げていきます。


目に涙がたまるのを感じました。
でも、誰にも知られないようにグッとこらえました。

先生も気づきませんでした。
その女の子も気づかなかったかもしれません。


でも、そのときの衝撃は今も忘れることができません。

そのときが、自分が人生で遭った、はじめての理不尽な拒絶。
そして自分というものを客観的にみる始めだったのだと思います。


自分は乾燥肌なのです。
手のひらって潤っていてやわらかいのが普通ですよね。

自分は固いのです。
手に汗をかくようなこともほとんどありません。
手の汗腺を忘れてきたようなのです。
そして、手のしわが尋常じゃなく多いのです。

自分は人と違うんだ。

そう知ったはじめてのことでした。


■手渇き病

小さい頃、自分はよく手をなめていました。
「手が渇く、手が渇く」といって舐めるのです。

水があるときは、水につけて手の渇きを癒しました。

手というか、指先。
指の先端の爪と皮膚の間が渇くのです。


医者に行っても原因不明。
家族からも精神的なものだろうとからかわれてきました。


でも、確実に渇くのです。
今は克服していますが、それでも渇く感覚がよみがえってくることがあります。


でも、これ書いてて気づきましたよ。

原因は、保育園で手をつなぐのを拒否されたこと!

このショックを引きずって、自律神経は手にうるおいを持たせようとがんばっていたんだ。
本当に39年間生きてきて、今日気が付きました。
つなげて考えたことがありませんでした。


小さい頃は、間違っても誰かと手を触れないように必死だったのです。
もし、触れたら、また嫌われるんじゃいかと。
高校生くらいまで、こわかったんじゃないかな。
フォークダンスで好きな子と手を組むのも嬉しさよりこわさのほうが勝ってたし。


手を舐めるクセは小学校高学年くらいにはなくなりました。
ハンドクリームというものを知ったからです。

ハンドクリームを塗ると手が潤うのです。
舐めて潤す必要がまったくなくなりました。




■これによって得たこと

幸か不幸か、こんな小さい頃から自我が芽生えることとなりました。
そしてこの心の痛みから、少しは人にやさしくなれたのだと思います。

また、副産物として自分の手をよく見て興味深く観察してきました。
手相を小学生くらいから研究したり。
手相が変わるということを実感してきました。

たとえば、中指のしたあたりから縦に伸びる運命線というのがあります。

この線、自分は左手はずっとあったのですが、右手は薄くて途中で消えていました。
でも、独立開業を決意したあたりからはっきりし始め、今はしっかりとした線ができています。

ちなみに、左手は生まれ持った素質、右手はたどってきた人生を表すとか。


話がそれましたが、この渇いた手、なにより、今、肉まんを作るのに役立っています。

渇いている手は、小麦粉がくっつかないのです。
打ち粉が常人の何分の一かで済みます。


こんな用途があるとは驚きでした。

そんなこんなで、トラウマだったこの手も、今は感謝の対象になっています。


もし、肉まんアトムにこられたら、ぜひ記念に店主と握手してみてください。
たぶんビックリしますよ。
手が固くてw。



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今日で6月も終わり。

6月は、新商品をいくつか投入しました。

マーボーなす揚げまん。
ゆき氷シリーズ。


7月は頭から新商品はありませんが、
居酒屋タイムと、通信販売という二つのサービスを始めます!


いろいろやらなければならないことが山積みですが、
がんばります!



そして、7月から、新企画としてこのブログで「肉まんアトムへの道」として、店主の人生のこれまでのストーリーを書いていきたいと思います。


なぜ、肉まんアトムを開業するに至ったか。

一言で言えば、「流れ」なんですけど、その流れをきちんと説明するには、幼少期から始めなければなりません。

かなり、恥ずかしいですが、墓場まで持っていこうと思っていた話まで赤裸々に書いてみようと思います。


ネタにも困らないし、皆様にも親しみを持ってもらえるかもしれないという一石二鳥にならないかなと。


まあ、平凡で地味な道ではありますが、よろしくお願い致します!



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