初めましてなちゅらる姐さんと申します。
私は2020年の12月に第一子である娘を出産しました。時代はコロナ渦真っ只中。
連日陽性者が何人、死者が何人、、、と繰り返し繰り返し報道されていました。
思えば2019年の夏位?から始まっていましたよね。世界ではもう少し前からですね。 この頃まだ私は夜のクラブで働いていて、酒浸りの毎日でした。(仕事の後も自ら飲みに行っていたので自業自得です笑)年末位に中国に旅行に行く先輩が、『なんかなんとかウイルスが流行ってるらしいね〰️』と飛行機の中での対策をクレ◯リンを首から下げながら考えていたのを覚えています。 まだまだ海の向こうの話といった感じでした。私は結構後まで 少し質の悪い風邪という認識でいたので、10月にはアーティストのライブに行ったり、年明け2月には沖縄旅行に行きました。マスクをする人しない人半々までいかない頃かな? 飛行機が沖縄に着くと、友人からニュースで沖縄で一人目の陽性者が出たみたいだから気をつけて。とラインをもらいました。
そういえば行きの電車の中で、具合悪そうに咳してる人いたなぁと思い出しながらも、 手洗い、うがいをこまめにしながら旅行を楽しみました。 ひめゆりの塔で、本当に息が出来ない位苦しくなり、悲しい気持ちになり涙が止まらなくなった出来事の方がインパクトがありました。
3月に行った熱海には、意外と人がまだたくさん出ていましたが、外出控えする人は、外出する人の事を良く思わない雰囲気を作られている感じでした。
私の中ではまだ、持病がなければそこまで恐い病気ではないという認識でした。
ただ、子供を持つ親御さんは、感覚が違ったと思います。連日あんな報道をされたら、恐くなるし、子供に何かあったらと心配になると思います。
忘れもしない4月7日に1回目の緊急事態宣言。9日の誕生日は、ひっそりと過ごしました、、、笑
なんやかんやで5月の初め妊娠している事がわかりました。そういえば最近お酒のまわりが早かったなぁと思いました。この頃はお酒のまわり方やタバコのおいしさが健康のバロメーターだと考えていました笑(結構本氣で笑)
妊婦の夏にマスクはきついわ‼️というか妊婦じゃなくてもきついわ‼️という怒りで外ではほとんどマスクはしませんでした。
建物の中では建前上していましたが本当に納得いきませんでした。こんなんで本当にウイルスって防げるの?という疑問がありました。 そんなこんなで12月になり予定日近くで相方がコロナ陽性で隔離施設へ送られました笑 いや、笑い事じゃなかったけど、タイミングの悪さに思わず笑ってしまいました。 しばらくして私も37、6度の微熱が出た為病院で検査を受けました。その日の朝おしるし(もうすぐ産まれますよ〰️って赤ちゃんからの?サイン)がきました。お昼頃、病院からも連絡が来て陽性。
出産を予定していた病院からはコロナの為受け入れ拒否されてしまい、保健所の人との電話のやり取りで『コロナでも出産できる病院をこちらで探すので自宅待機していて下さい。』と言われさすがに大人しく籠ろうとしました。
そうこうしているうちにも、昼位からなんだかいつもと様子の違うお腹の張りが、、、だんだん強く、感覚も短くなってきたのでまさかこれは陣痛? うぅ゛〰️!! となり、保健所の人に言われていたコロナ救急という番号にかけましたが、世の中は大変な事態になっており、全く機能しておらず、普通の救急にかけてくださいと言われ119番しました。 痛みで気張り過ぎて何度か嘔吐してしまう位には痛かったので、、、
救急車を呼んでいいものか迷いましたがかけました。 やっと来てくれた救急車になんとか歩いて乗りました。が、コロナ陽性の妊婦を受け入れてくれる病院が見つからなかったのです、、、! どんどん進む陣痛の中、うずくまり、唸る獣の様な私を励ましてくれたお兄さんお姉さん(同年代位に思いました)。あの時は本当にありがとうございました。
『僕は子供を産む事は出来ないけど、妻と子供がいて、本当にすごい痛みを乗り越えて母になれる女性を心から尊敬しています。
頑張って下さい!』って言ってくれたお兄さん。
色々な病院、出産予定だった病院にも2回、3回とかけて(電話2台使って探してくれていた)断られて怒ってくれていたお姉さん。 『もしも産まれるってなったときには私達が絶対に無事に産ませるから、安心して今は痛みに耐えてね‼️絶対大丈夫だから。そういう時の為に私達は訓練を受けてるから!』って力強く言ってくれました。
3時間近くたって、ようやく受け入れてくれる病院が見つかった時には本当にほっとしました、、、と言いたいところですが、痛みでほっとは出来ませんでした笑
病院の人に引き渡される時に、お姉さんにお礼が言えて良かった。『お母さんなら大丈夫❗頑張ってね‼️』って笑顔で励ましてくれました。
陣痛の時って、体験した事のない痛みに、血管切れて意識飛ぶんじゃないかと思ったけど、意外と脳が覚醒していて思考はクリアだし、結構細かい事まで覚えています。
病院の方々も皆真剣に、優しく対応してくれました。
医療従事者の方々への感染リスクを減らす為、緊急帝王切開になりました。
何時までに何センチ子宮口が開かなかったら帝王切開になりますと言われ、言われるがままになるしかないし、無事に子供が産まれるなら何でもいいと心から思いました。
麻酔を打たれる前、痛みで力み過ぎて、掴ませてもらっていた看護師さんの防護衣を破ってしまいました。 それでも笑って『大丈夫だよ!掴んでていいよ!』って言ってくれていました。
無事に娘が産まれました。切開部分を仕切る布の上からちょっと抱き上げて見せてくれましたが、私は視力がとても弱く、手術の前にコンタクトレンズを外されてしまっていたので、全く顔がみえませんでした笑 でも産声は忘れません。少し早めのクリスマスプレゼントでした。
その後は、隔離病棟の個室に入れてもらいました。身体を休めるにはありがたかったのですが、やはり赤ちゃんに会えないのはさみしかったです。泣きながら初乳を絞りました。 初乳で与えられる免疫があげられない事が悔しくて、泣きました。
産後の弱ったメンタルで、看護師さんに泣き言も言いましたが、相談に乗ってもらったおかげで気持ちを切り換えて前向きに母乳マッサージを頑張れました。
1日に1回のタブレット越しの赤ちゃんとの面会が楽しみでもあり切なかったです。
画面を自分の携帯でムービーを撮り、何度も見直しながら沐浴や授乳のイメージトレーニングをしました。
妊婦は重症化しやすいという情報もあったのでドキドキでしたが食事は残さず食べ、帝王切開後の回復も順調。『なちゅらるさん本当に元気だよね!びっくりしちゃうけどなんか元気貰えるわ』と看護師さんに言ってもらいながら、10日間の隔離期間を終えて、無事母子共に退院できる事になりました。
退院の日の朝、出産に立ち会ってくれていた看護師さんが、実は個人の携帯で、産まれた直後の赤ちゃんを撮影してくれていて、プリントして写真をプレゼントしてくれたのです!『手術室だからビニールに携帯を入れなきゃいけなかったので、ボヤけた感じになってしまっていてごめんね』って言ってくれましたがとんでもない‼️本当に嬉しくて、今でも私の宝物です。
世の中では、家族の死に立ち会わせてもらえない、葬式すらあげてあげれない人達がたくさんいたあの頃。 本当に目の前で命と向き合う看護師さんが、こんな異常事態の中どうしたらお母さんの気持ちを埋められるだろうって一生懸命考えてくれたのです。
タイトルにしたコロナ出産で学べた事というのは、この後(出産後育児をしていく中で)私が知っていく利権だらけの医療業界の闇や、日本という国、世界の歪み等を勉強したり、考えたり、語ったりする上で、絶対に忘れちゃいけない事は、第一線の現場に立っている方々は、本当に純粋に目の前の人を助けたいという思いで必死で行動している人達ばかりだという事です。
受け入れを拒否されてしまった病院も、他の患者さんやスタッフの人達を守ろうと必死だったのかもしれません。
若い頃からなんとなく病院嫌いで、結構な高熱や大怪我、不調でもなかなか病院に行かなかった私に、医療従事者の方々の魂のこもったお仕事に触れさせて頂いた大切な経験となりました。
あんな報道が連日連夜ずっと繰り返される未知のウイルス騒動の中、医療従事者の方々だって怖かったかもしれないのに、見ず知らずの私にあんなに親身になってくれて、もしかしたら自分も感染するかもしれないのに手を握り、腰をさすってくれて。 あんな利他の精神を持っている人達が、この国にはまだたくさんいてくれる。 それを教えて頂きました。
後にコロナウイルスやワクチンを始め、世の中の様々な事が嘘や利権、欲にまみれていて、テレビも新聞も、雑誌も、ネットも、政治家も、お医者さんも、偉そうな専門家も、平気で嘘をついてお金儲けする人達がたくさんいる社会の仕組みを嫌という程知る事になりましたが、あの時に触れたあの人達の精神も、決して忘れません。
心から、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
そして大切な事に気付くきっかけを運んで来てくれた娘にもありがとう。
長々と読んで頂きありがとうございます。
次回は色々な事に気づいたきっかけを綴りたいと思います。