御朱印くらぶ2016.09.18 大河ドラマ真田丸ゆかりの地巡りin大阪 | +Plusチックな旅

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ぷらすぅ〜の徒然なるままに…

どうも、ぼくです(^-^)/

9月18日(日)、大河ドラマ真田丸ゆかりの地巡りをしようと大阪へ行ってきました。

8時前の新快速に乗り、大阪駅下車、そこから大阪地下鉄1日乗車券を購入し御堂筋線に乗り天王寺へ。

プランとしてはまず天王寺公園の茶臼山からスタートし一心寺安居神社天王寺庚申堂、再び地下鉄へ、谷町線から鶴見緑地線に乗り換え玉造駅下車

三光神社善福寺心眼寺鎌八幡越中井豊國神社大阪城です(*゚ー゚)ゞ

 

茶臼山は元は細川晴元の家臣である山中又三郎が築城した大塚城でした。

大阪・冬の陣では徳川家康が茶臼山を本陣にし、夏の陣では真田信繁が陣を置いたとされるところですo(^▽^)o

 

茶臼山のそばに一心寺があります。

一心寺には数年前に叔母の納骨に来たことがあります(一心寺は納骨された骨で10年毎に骨仏を製作されます)がそれ以来の2回目で前回は真田とゆかりがあることも知りませんでした。

境内にはここ一心寺にも真田の抜け穴があるとのこと。

こちらが真田の抜け穴とされる井戸跡です。

一心寺は一時徳川家康も陣を置いたとされています。

家康の家臣で本多忠勝の次男本多忠朝の墓も建立されています。

 

■一心寺の御朱印

一心寺を出て国道を挟んで目の前に真田信繁戦死の地とされる安居神社(安居天満宮)があります。

真田信繁は家康の首を狙い本陣を目指すも敵数の多さ、増援の多さにおされ退却しここ安居神社の境内で休憩をしているところを敵方に発見され戦死したとされています。

■安居神社の御朱印

安居神社から四天王寺へ向かいました。

そして四天王寺から少し離れた場所にある四天王寺庚申堂へ。

庚申堂の御本尊は青面金剛童子です。庚申の日は一年に6度か7度ありその日に青面金剛童子に祈れば一眼成就するとされています。

四天王寺庚申堂は全国にある庚申のはじめであるそうです。

またここ四天王寺庚申堂は真田十勇士伝説の残る地です。

大阪・夏の陣の時真田信繁が伏兵をおいて十勇士の一人穴山小助を自身の影武者として出陣させたというものです。

■四天王寺庚申堂の御朱印

庚申堂を後にし地下鉄谷町線に乗り谷町6丁目で鶴見緑地線に乗り換え玉造駅下車。

駅を降りて近くのお店で昼食をとりました。

 

昼食後最初に向かったのは三光神社です。

昔は姫山神社と称されていましたが真田山の三光の名称の方が知られるようになり今では三光神社とよばれるようになったそうです。

朝から雨が降っていましたがだいぶん雨が強くなってきました(^_^;)

三光神社には大阪城から信繁が掘ったとされる抜け穴跡があります。

入り口の扉は後でつけられたそうです。

三光神社やこの後訪問する善福寺や心眼寺、学校周辺は大阪城の弱点である城南に信繁が築いた出城『真田丸』があったとされている場所ですo(^▽^)o

■三光神社の御朱印

三光神社から少し歩くとどんどろ大師 善福寺があります。

本堂は2階で階段を上がっていきます。

江戸時代大阪城代・土井利位どいとしつら公下屋敷が付近にあり度々の寺参拝に「土井殿大師」どいどのだいしの名が起こり、どんどろと変わっていったそうです(;^_^A

どんどろ大師 善福寺は大阪・夏の陣の戦死者を弔っていたお寺です。

住職が周辺のゆかりの地や真田丸についてやさしく丁寧に教えてくださいました(*^▽^*)

■どんどろ大師 善福寺の御朱印

善福寺から少し歩いたところ、明星学園のグラウンドの目の前に心眼寺があります。

心眼寺は白牟(はくむ)和尚が真田丸の跡地であるこの地に真田信繁、大助の冥福を祈るために建立した堂舎です。

定紋は真田の六文銭と定められ山号は真田山です。

境内に信繁のお墓が建立されています。

江戸時代、大阪は幕府の直轄地で豊臣方の武将の墓の建立は禁止されていました。

大阪・夏の陣から400年の2014年、信繁400回忌にようやく信繁の墓碑が建立されました。

墓碑には真田左衛門佐豊臣信繁之墓と書かれています。

1594年信繁は従五位下・左衛門佐に任じられたそうです。

その時の口宣案(くぜんあん)に豊臣信繁 叙従五位下左衛門佐と記されていて豊臣姓を許されていたとのことです。

■心眼寺の御朱印(書置き)

心眼寺の目の前の明星高校のグランド(テニスコート)前に真田丸顕彰碑があります。

このグランドや周辺に真田丸があったと感じながら歩くと一層楽しめると思います(*^▽^*)

グランドを後にし道に案内表示がわかりやすく設置してありそれを頼りに次に向かったのが、鎌八幡です。

鎌八幡は円珠庵とも言い、昔から大きなエノキの霊木があり、その霊木には鎌八幡大菩薩が宿っていて、真田信繁が戦勝祈願し大阪・冬の陣で勝利したとされています。

 

現在、円珠庵は悪縁絶の鎌八幡として信仰を集めています。

真田ゆかりの地として参拝に来られている方もいらっしゃいますが多くは悪縁を絶ちたいと願って祈願、祈祷に来られている方もおられますので中の撮影は禁止されています。

住職は女性の住職様で曰く、八幡様を祀っておられるので御朱印をいただく時はお寺、神社どちらの朱印帳で頂くかは本人が思う方でどうぞとのことです(^-^)

今回自分はお寺用の御朱印帳に頂きました。

参拝の時は静かに参拝させていただきましたが住職様はとてもやさしく気さくな方でした。

今回大阪の真田ゆかりの地を巡って感じたのはどの神社もお寺も皆さんとてもやさしくいろいろ教えて下さっていっぱい歩きましたが楽しくまわれました(*^▽^*)

■鎌八幡 円珠庵の御朱印

鎌八幡から案内板にそって約900メートル歩いて越中井へ。

越中井へ向かう手前に聖マリア大聖堂があり細川ガラシャの像があります。

そしてこちらが越中井です。

越中井とは豊臣時代の大名でここに細川越中守忠興の屋敷があり、その台所跡に残る井戸だとのことです。

 

石田三成は諸将の妻子を大阪城に人質として捕らえていました。

明智光秀の娘で、細川越中守忠興の妻、細川ガラシャ(玉子・キリスト教に洗礼しガラシャとなる)は石田三成の人質になると敵対している夫に迷惑がかかると思い、この屋敷内で果てたといわれています。

 

越中井までくると大阪城はもうすぐです(^∇^)

大阪城と場内の豊國神社へ。

豊國神社は豊臣秀吉公、秀頼公、秀長卿を御祭神とし、出世開運の神として知られる神社です。

■豊國神社の御朱印

最後に大阪城をぐるっとみて歩きました(*^▽^*)

大阪城跡は信長も攻略を諦めたあの石山本願寺との合戦があった場所です。

そんな要害堅固な土地だったことから秀吉公はこの地に居城を築いたそうです。

 

まだほかにも真田ゆかりの地や大阪・冬の陣、夏の陣ゆかりの寺社もまだまだありますが今回の『大河ドラマ真田丸ゆかりの地巡りin大阪』は以上です(^-^)/

 

スマホに内蔵の万歩計が20キロになってたけど…そんなに歩いてはないだろう!?

結構歩いたし豆できたけど(;^_^A