今日で東日本大震災から1年が経ちました。
14:46、TVの特番をみながら同じく黙とうをしました。
ちょうど1年前、普通に仕事をしていた時に友人から1通のメールが届きました。
「地震があったけど家の人の実家大丈夫か?」
その時は仕事中に何のメールだ?と思い大したことないだろうと特に気にもとめてなかったけど、友人から次のメールで、
「宮城で震度7が…」
それを見てすぐ家の者に連絡を取った。
家の者の実家は宮城でその時は「大丈夫だ!」と連絡があったと聞いた。
そして仕事を終え帰宅してTVを観ると…阪神淡路大震災の記憶が一気に蘇った。
そして宮城の実家との連絡が取れなくなった。
親戚も連絡がとれなくなったとこちらに連絡してきた。その連絡してきてくれた親戚は福島で、みんな無事でおばあちゃんも無事だとの事。
だけど宮城と連絡が取れないと…
それから1週間音信不通の不安な日々が続いた。
家の者がメールしても返事がこないし電話もつながらない…たすぅ~くんはまだお腹の中だったし家の者の血圧はどんどん上がっていたしこれ以上の不安を自身やうちの方の両親も心配してたしなにか連絡がつけばと、普段メールや電話したことがなかった家の者のお父さんに電話してみた。
しかしやはり繋がらなかった。
なのでダメもとでメールを送ってみた。
そして数時間後、1通のメールがきた。
宮城のお父さんからだった。
「無事だ。電池がない。だから無事をみんなに伝えてくれ!」
少ない文章だったけどそれまでの不安が一気に解消されすぐに家の者に転送しうちの両親にも連絡した。
後で知ったんだけど残りすくないガソリンだけど車のエンジンをかけ車で携帯を充電し少し貯まった電池の間にメールしてきてくれたらしい。
幸い宮城の実家はライフラインは完全にストップしていたけどなんとか周りより地盤が強かったらしく助かりました。
地震から1カ月後の4月11日、家の者は妊娠中毒症で血圧が200を超えて母子共に危険だと緊急で切開したすぅ~くんが誕生しました。900gしかなかったたすぅ~くんですがNICUやGCUで大変お世話になり、退院し今日まで少しずつですが大きく成長しています。
しかしまだ宮城の実家のお父さんに孫の顔を見せることが出来ていません。
できるだけ早くみせることが出来たらと思います。
今日、うちの実家に行き、晩御飯を頂き帰りにスーパーに寄りました。
そのスーパーで1つのカップラーメンを見つけました。
カップラーメンとしては高いかもしれませんがこのカップラーメンは売り上げの一部は「東北の子供達」の笑顔のためあしなが育英会に寄付されるそうです。
迷わず買わせて頂きました。
忘れない事は簡単そうで難しいことだと思います。しかし忘れてはいけないと思います。まだまだ終わっていないのだから…いろいろあった1年ですが自分も前を向いて少しずつ進んで行きたいです。