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「小細胞がん」闘病記

父(61歳)の「小細胞肺がん:ステージⅣ」の闘病記。

2011.9月

前回の更新から随分と経過してしまいました(汗)

前回(8月)の抗がん剤治療で、骨髄抑制が出て、
予定通りに1セット終えることが出来なかった父。

2週目までは予定通りだったのですが、
結局3週目は見送りで、2週間の休薬期間を設け、
9月12日から再度入院し、2セット目の治療を受けることになりました。

いつも抗がん剤治療の前日か、当時の朝に、
血液検査をするのですが、今回好中球数も、血小板の値も正常値に!
なんとか2セット目出来るみたいで良かった(・∀・)


退院している間の父といえば、
去年から手塩にかけて育てているメダカの世話をしたりしてますが、
やはり倦怠感がすごいらしく、ベッドの上で過ごすことが多いです。

食欲は、「ある」とは言えませんが、前回のころよりは食べれるらしい、、、
ただ、米飯ではなく「お粥」ですが(汗)
本人はお粥の方が食べやすいらしいので苦笑


9月12日からの治療方針が変更になりましたあっっ

今までは、
1週目 シスプラチン+イリノテカン
2週目 イリノテカン
3週目 イリノテカン
4週目 休薬週間

これの繰り返しだったのですが、
今回9月からは、3週目のイリノテカンは投薬せず、
3~4週目を休薬週間にすることにしました。

前回の骨髄抑制で、血液状態が良くなくて、
グランシリンジというお薬を使用していましたが、
副作用も懸念されるので、出来れば薬を使用せず回復を待とう!
というのと、
無理に3週目(イリノテカン)をして、
次セットのシスプラチン投与出来ず、、、より延命効果があるだろうとのこと。

なので、今回は2週間ほど入院しただけで、
現在は自宅で静養中な父。


実は、今回父が退院する日、私が入院しました。
同じ病院にΣ(-∀-;)

8月に「若年性子宮体がん」と診断され、
今回、子宮と卵巣、卵管、全摘出することになりました(涙)

何の因果か、、、父と入れ替わりに私が入院するだなんて

なのでこの記事は、私の病室から書いているわけです(笑)


昨日、父がお見舞いに来てくれました。
自分の体の方がしんどいだろうに、遠いところから来てくれました。

父が大変な時に、こんな病気になってしまった私。
なんて親不孝者なんだろう。

いつもは父がエレベーターの外から手を振っていたけど、
昨日は私がエレベーターの外から父と母を見送りました。

・・・う~ん、複雑。

きっと父母も複雑な心境だったろうなぁ。
まぁ、そんなこんなで、
父はまだまだ頑張ってくれています!

すべてのことに、感謝Wハート

8月4日、化学療法(シスプラチン+イリノテカン)のため、
4ヶ月ぶりに四国がんセンターに入院。

6月に地元の病院で、2度目の全脳照射(20グレイ)を行ない、
7月にがんセンターで2度目(1年ぶり)のPET-CT検査。
PET-CTの結果、肝臓・副腎・右肺門部などへの転移が発覚、、、
前回の化学療法から半年以上経っているので、
前回使用したシスプラチン+イリノテカンが奏功しやすいとのことで、
また同じ抗がん剤を試してみることに。

二度も全脳照射をした父は、じわじわと体が弱ってきているようで、
転移の加減もあるかも知れないけれど、食事の量がずいぶん減った。
今回の入院でも、出された食事の3割以下しか食べれず、
食べられないことで体力が落ちるのではないかと、本人も気をもんでいる。

栄養補助のため、テルミールという補助飲料を飲んではいるけど、
入院して1週間で3キロも体重が減ってしまっている。

化学療法は、当初の予定では4セット行うはずだったけど、
今回は骨髄抑制が顕著で、好中球(白血球)と血小板がかなり低くて、
3週目のイリノテカン投与は見送り。
血小板が減ることで出血傾向になり、動脈硬化の酷い父にとっては厳しい状況。
好中球の減少で、感染症に十分に気をつけねばならない。マスク必須。

とにもかくにも、血液状態が悪すぎるので、好中球の数を増やすべく、
初めてのグランシリンジ75を皮下注射した。3日間続けて、再度採血して様子を見る。
副作用が起きないか不安はあるが、このまま放っておいても良いことはないので、
この注射にかけるしかない、、、。


なんか、、、こうやって段々と打つ手が少なくなっていくのかなぁ。
これからの選択肢って、何があるんだろう?
出来る治療がなくなってしまったら、、、

なんだか最近、マイナス思考。
いかんなぁ。私がこんなんじゃ、父も不安になってしまう(´;ω;`)

6月17日、四国がんセンターにて頭部MRI(造影剤)検査と胸部レントゲン。

ここ1ヶ月程、父は本格的に食欲もなく段々と痩せてきていたので
医師の説明を聞くため一緒に診察室へ。

前回記事にも書いたが、父は今年3月に全脳照射を行っている。
放射線治療後に別段検査などもなく、治療の効果を期待する日々。

結果。。。

転移性脳腫瘍が多発しているとのこと。
元々、昨年の7月にガンが発覚した時点で脳幹部に転移は認められていた。
当初の転移も単発ではなく、脳全体(全部で5つくらい?)に渡っていたので
抗がん剤治療がひと段落ついた後、全脳照射が選択された。

今年の2月に撮った頭部MRI画像で確認されていた腫瘍は、
3月の全脳照射によって縮小したり、消滅したりしたものもあった。

でも。
抗がん剤治療後縮小していた脳幹部の腫瘍は、ひと目見てわかるほど大きくなっていた。
それに加え、小脳と大脳にも新たに大きめの腫瘍が増えていて、
詳しく数えてはいないが、パッと見で10個以上はありそうだった。

がんセンターの放射線科の医師に今後の治療方針を仰いだのだが、
これ以上がんセンターでの治療は出来ないと言われた。
全脳照射をした後に、定位放射線治療をするのは現実的ではないと。


なんだか、、、
もう見放された気がして。

父もがっくりと肩を落としているように見えた。


ただ、全く手立てがないわけでもないらしく、
ここの施設にある定位放射線の機械では無理だが、
今治市の病院にある「サイバーナイフ」なら可能性はあるかも知れないとのこと。

ガンマナイフはボルトで頭を固定しなくてはならないけれど、
サイバーナイフはその必要もなく、複数個の腫瘍を一度に治療出来るらしい!

調べてみると、現在日本にサイバーナイフは22箇所にしかなく、
中四国合わせても3箇所。
そんなスゴイ?機械が近所にあるなんてラッキー?!

・・・とか楽天的に捉えてみる。

というわけで、来週月曜から今治市の病院に入院予約済み。
まだ実際にサイバーナイフで治療可能と決まったわけではないが、
もうそれに賭けるしかないのは事実。

あ、ちなみに外科手術は無理だそうで。


今までの主治医曰く、
「放射線治療が出来たとしても、モグラたたきのようになるはず。
 放射線科でこれ以上の治療は無理と言われたら、
 あとは抗がん剤治療を試してみるしか手がなくなります。
 今ある脳腫瘍が更に大きくなったり、更に転移を重ねていけば
 8月か9月くらいには、確実にさまざまな症状が出てくるはず。」
 

正直、放射線も無理なのに、抗がん剤なんて。
もっと無理なんじゃないの?って思ってしまう(泣)
今でさえ、食欲なく体力も落ちてきているのに、抗がん剤に耐えられる??
しかも、もともと脳腫瘍に抗がん剤はほとんど効かない。


もし、本当にそんな事態になってしまったら、、、
考えるとどうしていいかわからない。



なんだかなぁ、、、
昨年の7月にガンの告知を受けた時から今まで、
私が想像していた以上に父は病気に負けず良く頑張って、
辛い治療も思っていたよりすんなり通り過ぎて、
今の今まで、父の笑顔が変わることがなかったから。
今の今まで、いつもと変わらず楽しく過ごせていたから。


もしかしたら、何とかなるかも!!


とか期待しちゃってた私。
小細胞肺がんは、やっぱりそんな甘いもんじゃなかったんだなぁ。


食欲が落ちたのも、ふらつきがあるのも、全部「副作用」だと思ってた。
全脳照射の副作用で脳が腫れているからなんだと思ってた。

「いつかはわからんけど、数ヶ月もしたら落ち着くょ~」

そう言って、ずっと耐えてた父。


でも実際は副作用ではなくて、腫瘍が大きくなっていた症状だったんだね。
いっぱい我慢して頑張ってたのに、、、
父の気持ちを思うととてつもなくやるせない(泣)


私には今まで弱音を吐いたことはなかったのに、
今回の診察の帰りに、
「もう治療してもダメかもなぁ」って。

もう励ますしかなかった(*´;ェ;`*)



もう、完治は望めないのなら、
普通に毎日が送れるよう、辛い症状が出ないよう、
それだけを心から祈る。




さぁ、まずは来週月曜日!
サイバーナイフで治療が出来ることを祈る!祈る!!