だが、それでよい。 -3ページ目

だが、それでよい。

君はラッキーだ。

さらにサバの味噌煮缶と焼酎と静かな夜があればなおさらラッキーだ。

そして、素敵な音楽を聴きながら、ゆっくりと屁をこけばいい。

すけべ心丸出しな犬はみっともないと思う。






うちの実家のラブラドールレトリバー。

そいつがまだ若いころはそれはもうみっともなかった。



目が合えば最後、一目散に駆け寄ってきて、

その身をこれでとばかりにこすり付けてくる。



まあ、それはそれでやっぱりかわいいもんで、

なでたりキスをしたりほうり投げたりするんだけども、

だんだん犬のほうの感情の高ぶりがエスカレートしてきて、

部屋中を全力で駆け回るようになる。




そして、いままであそんでやってた俺を無視して、

あろうことか、毛布(犬用の)にむかって腰を振り出すのであった。





とりあえず、こうなってしまうと家族の雰囲気は最悪だ。




父は新聞を手に取り、兄貴は突然ポテチを食べだし、

母にいたってはその雰囲気の中みんなに向かって、



「いやだあサクラちゃんたら!・・・ねえ?」



とか言ってしまう始末である。




いやはや、犬の純真さには苦労させられるばかりですな。






しかし、遊んでいたときの楽しさから、性欲へと。




いったいどういう感情のベクトル転換だ。




はじめっからそういう気持ちで近寄ってきてたのなら話はわかるが、

ボール投げや鬼ごっこもするし、やはり純粋に楽しんでいた感じであった。



そういえば人間も、つり橋の上での恐怖が、異性への恋愛感情に切り替わるとかあったな。

どっちかといえばこっちのほうがぶっとんでるか。





案外、人や動物の抱く感情ってのは、ほかの何かまったく関係のないような出来事によって、

しらずしらずのうちに揺るがされたり、導かれてるのかもしれない。





そしたら、喜怒哀楽なんかで表せるほど単純ではないはずである。




16万色くらいのカラーパレットの上を走りまわっている筆のようだ。









そのとき犬はR210G70B95くらいであった。







恥じらいの色で塗られた。

筑前煮を作っていた。




ハスの切り口を見るたびに、ガトリングガンを想像するのは自分だけではないように思う。



左手にとり、前へと突き出す。

片目を閉じ、右手の人差し指をゆっくりと押し曲げた。





「ズドウウウンッ」





轟音が頭いっぱいに響き渡り、反動で上体が大きくのけぞった。




3秒ののち、僕はハッとした。


ズドウウウン?

ガトリングガンなら「ドガガガガガッ」とかが妥当であろうのに

よりによって、ズドウウウン。



さんざんガトリングガンを想像していたのにもかかわらず、

ここで突然ハンチングライフルが響く音にすり変わった理由に気づくのには

たいして時間はかからなかった。



そう、俺は、ランボーより、ターザン派だったからである。



果敢に一人でアパッチにガトリングで挑むランボーより、

カーチャックがハンターに打たれ絶命する姿のほうが、

深く焼きついていたからである。








だが、そんなことはどうでもよい。


俺が言いたいのは、季節は梅雨だということだ。


雨はいい。


お庭や軒先のほこりや、体の汗や脂、ときには誰かの涙をも洗い流してくれる。



男の子はやっぱし喧嘩とかしたことあるんだろか。



俺も何度かある。

そのうちのひとつは、雨降りの日だった。


ドラマとかの場合は、怒りとか憎しみの情景描写であるのかもしらんが、

自分の場合、なんというか、ひどくいたたまれない気持ちになった。


慈悲みたいなんを思い知った。



たぶんそれは、雨がなだめてくれたんだと思う。

知らん間に、憎しみとかは流れてった。



やっぱし、自然は偉大かもしれん。

腹の中まで還そうとせんくらいうざったい慈愛の母なのかもしれん。



ひょっとしたら、もし雨や日照りや季節や天災が無かったら、

今よりもっとひどい争いとかあったんちゃうかな。




雨はそのうち虹となり希望を照らし、

季節の移ろいはもののあはれを物語り、

大地震は時として人の温もりを思い出させる。



悪魔に心を預けてミサイルのボタンを押しちゃう商人たちも、

マウンテンのてっぺんからご来光を拝んだら、

アヘっと何かを思い出せたかもしれない。








とかいいつつ、今日もそそくさパチンコ屋へ行くのであった。




それが人間。




だが、それでよい。