購入したきっかけ

角川武蔵野ミュージアムで行われた、「ファン・ゴッホ 僕には世界がこう見える」の展示を観た日に、ゴッホのことを知りたいなをきっかけに会場にあるショップでいくつか本を買った中のひとつ。

 

以下感想。

 

読みづらく感じる。作者と私の視点の違い?

文章のさわりをぱらりとよんで、へーそうなんだという興味欲と、 なにか、こう、自分が読んでいた視点がズラされる、何も入ってこない感じ。よくわからないけど、読みづらい! 

けど、とにかくよんでみよう!と思い、2-3回読み直して4回目くらいに内容が入ってきた、かもしれん。

 

本とは関係ないけど。 どーしても気になって。

こういう機会ってありそうでないことかもしれないので言語化しておこうかなと。

 

読みづらさは以下2つが関係している? 

・アート小説やこの方の作品を私は初めてふれたっていうのもあるかもしれない 

・作家さんのゴッホの解釈に対して、自己解釈とのズレ?が心苦しいのか?(二次創作界隈の話をしている?)

 

あと、話の軸が5つくらいあって。 

・ゴッホの話。(テオ、林忠正、ゴーギャン。パリ、アルル、サン=レミ、オーヴェル=シュル=オワーズなど) 

・原田さんの話。 

・原田さんがフランスのゴッホゆかりの土地へ足を運んだ経験やその時の所感。 

・原田さん著「たゆたえども沈まず」のシーンや思い入れ 

・ゴッホを調べる上で、ゴッホを救いたい気持ち➡作品への反映

 

多分、どれもしらない話がほとんどだったから、読むのが難しくかんじたのかも。

 視点がズレるようなかんじは、この軸がいったりきたりしてぽかんとなっちゃうところだったのかも?

 

ゴッホとテオの日記が読みたい

誰かを通したゴッホじゃなくてゴッホ自身の言葉がしりたい。実際にゴッホの作品を観て、感じたい。 

この本を読んで、もっとゴッホ自信のことを知りたいという気持ちにさせられた。 

著者の小説「たゆたえども沈まず」も機会があればよんでみたい。

 

ふと、ゴッホはどういきればよかったんだろうかなっと。 

養老孟司先生のことばで、先生の母親から「あんたみたいなのは、長生きしないと損する」と言われていたと。

時代が変わるから。という考え、もあるよな。 ほどほどに割り切って、うまくいきれば、よかったんだろうか。

なんだかゴッホの話は他人ごとにおもえなくて、ゴッホ自身が生きていない時代に評価されればされるほど悲しさを感じる。

 

 

ここから先は、友人と話してた時に喋った、感想という名の自我の話。

面白いやん!を友人から受けてのメモです。

 

どうしても、著者のゴッホに対しての解釈違いを起こしまう。

この方は、ご自身で現地や関連する場所や人のところへ足を運ばれて、私なんかよりゴッホのことを知ってるしそれに費やした時間もたくさんあるのに、だ。

著者が調べた上でゴッホに対して思いを馳せ、小説の中だけではどうか救われてほしいとして描いた、という解釈が、どうしても私には勝手に救うなっとなってしまった。勝手に救って、幸せにすることで、ゴッホの痛みがなかったことになるような。痛みがあるから、生きていた当時に売れなかったから。痛みがあるから、私はその痛みを多分見る人見る人に与えててこそ、考えさせられて、廃れず、残るというか。

なんというか、自分はこれでいいって選択したのに。それは人から見たら悲しいことかもしれないけど、この選択には、自分にとって多分高尚なもので汚されたくない、みたいな。うまく言語化できないけど。