「ぼっち」がもたらす力-weekly ochiai-(中野善壽さん)

 

 

この方の話を聞いてると過去に読んだ本(ぜんぶ、すてれば)を思い出すなあと感じてたら、ご本人だった。

 

 

『今日を生きる』

『先のこととか未来のことを考えるから不幸になるんですよ』

『そういう基準を設けることが不幸をまねく』

『最適解なんてない』

朝聞いてたら、最近抱えてる目に見えない不安やプレッシャーとかそういった漠然とした、もやもやがすっかりなくなってしまった。よくわからないものに急かされていたけど、焦りもどっかいってしまった。なんだ、こんなにもシンプルなんだな。

本(ぜんぶ、すてれば)を読んでいた当時よりも、言葉がすとんと落ちてきてた。今日というものが急にあかるく感じてきた。

 

話を聞いてると、自分のものさしというか、ちいさなところにも気が付けるかんじというか、自分におとしこめてて言語化してる姿勢?が、なんとなく「こういう感じか」と漠然と思った。

 

私が抱えてる、もやもやとした絡まった糸の絡みを、この人はどう整理しているのか。それがなんとなくわかったようなきがしたので、それが「何」だったのかを言語化してとらえておこうかなと。

 

 

絡まった糸だまりとは、何だったのか

多分それはどこにもなくて、社会や他人の多様な発言から自分が勝手に作りあげた、脳内だけのモンスター。

私は結構他人なんてどうでもいいというタイプの人間だと思っていたが、そうでもなかったらしい。うまくやらなくちゃ、失敗しないようにしなくちゃ、もっと最適解があるはずだ、もっと賢くならなくちゃ、バカだと思われる、人から価値のないレッテルをはられる、あらゆる形での暴力を振るわれる、自分という自我を侵食される……多分そういう怖さとか見栄からなんだろうな。そういったものって綺麗さっぱりなくなるわけではないから自分の心のもちようだけで、気にしないでいられるかって言われたら難しい気がする。

 

落合さんも中野さんもなんとなくだけど、現実をただそのままそうだよねってかんじになるだけで終わるのがなんとなく独特だなと。すごくいいなと思った。

 

「アートはその作品が好きだからかうんですよ。そこに資産的な価値とかそういうのじゃなくて、ただ自分がこれを見てると気分が良くなるからほしいんです」

すごくシンプルでいい。

モンスターなんてどうでもいいなって、思える。そいつは多分なくならないんだろうなって思うんだけど、それよりももっとたのしい見方があるんだっていうかんじかもしれない。じゃあそっちの方がいいよねっていう。

 

自分のなかでの整理?そうふっきれたこと、そうとらえられたことかな。「何」だったかというと。

 

 

ピックアップワード

「先のこととか未来のことを考えるから不幸になるんですよ」

「そういう基準を設けることが不幸をまねく」

「恋愛はいつだってできる。心の持ちよう」

→いまを生きるという考えからでる考えだなって。

 

「最適解なんてない」

→それを求めちゃってるけどそうだよね。ないわな。なんか変に理想で自分をせめなくていいな。

 

「なんももてない。カバン一つだけでいい」

→私もこれでいい笑

 

質問箱「何を捨てればこんなに自然体になれるんだろう」

「見栄と欲を捨てる」

「何も分からんって言っておけばだいたい大丈夫な気がする」

「何も覚えてないっていいですよ。それは昨日にこだわってないってことですからね」

 

時間が経ったら、また観たいなって思った。

その時には、昨日にこだわった生き方をしないで今を生きられてるだろうか。