母は強くならざるをえなかった(年数、他に訂正あります。m(._.)m) | ニコリーヌの 夢見る頃を過ぎてもSAPHO症候群とともに

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今日(7月8日)から、実家の解体工事が始まっています。

母自身が戦後60年以上住んだ我が家が、
取り壊されて無くなるという事にも
悲しいそぶりを見せない母。

誰も住んでいなくてもかかる費用の節約をしたい、という気持ちがが大きいとは思うのだけれど、
それと、持って生まれたドライな明るさもあると思うけれど・・・・。

母は、岡山市の空襲で九死に一生を得たので、
夜更けに着の身着のまま、身一つで焼け出され全てを失ったので、
降り注ぐ炎の中を、塁類と重なり合う屍を飛び越えて逃げたので、地獄を見たので、

現在施設に入り、家財道具も順々に整理もされた、
言ってみれば「計画された、前向きの解体工事」など、
戦火で焼かれたことと比べれば、屁でもないのかもしれない。
と、ふと思いました。



さあ、では猫ちゃんの顔を見てから休むとしましょう。

みなさまにも明日が、いい日でありますように。



デッサンは、83歳頃の母です。以前にも載せたことがありますが、ずっと未完成です。
数年ぶりにイーゼルにキャンバスも載せたのですが、すすみません。


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