「愛されない」のメリット | 自分を生きる。自分を楽しむ。〜ゆかのブログ〜

「愛されてない」

「愛されない」




そう思うことにだって


メリットはあったという話( ¯•ω•¯ )











「愛されてない」

「愛されない」



そんな前提を持っていた私










どうせ、愛されてる?






思えません真顔 


ってずっと思ってた。笑


(私が理解できるものだけ「愛されてる」にしてたからってのも大きいけど割愛w









色々試行錯誤をしてる中で


ある時、


人は結局メリットで行動するんだとしたら



「愛されてる」って思いたくないのは

なんでなんだろう?って考えてみたことがあった。








その時は両親が私の対象だったんだけど




例えば


お母さんの行動が


お父さんの行動が


お母さんの言動が


お父さんの言動が




「愛」だったとしたら?


あれも「愛」からの行動だったとしたら?


「愛されてる」としたら?









って思って過ごしてたら




愛されてたと思いたくない(꒪⌓︎꒪)



って自分が出てきてん。笑








だって、あれもこれも

「愛されて」たとしたら




過去の私に罪悪感が湧きそうで


今まで大事に守ってきたものが崩れそうで


感謝しないといけないような気がして


今までの自分を自分が否定するような気がして








思いたくなかった。笑



そんな自分がいたの。笑







無意識に、且つ全力で

幸せになんでなってやるもんか!!!!

ってやってたんやろうなニコ








無意識の「愛されない」と思いたいメリットを

観るメリットは

(分かりにくいな)








自分がそうしてる。って思えること。


自分で選んでるって思えること。











自分で選んでるなら


いつでも自分で選び直せる。









私がそれをしていた。

私がそうさせていた。

私が選んでた。








そうやってを主語にしていくことは


自分にパワーを戻すこと。






私がそれをしていた。

私がそうさせていた。

私が選んでた。


何て、思いたくなかったけどな。笑

しんどいし。笑笑





でも



相手にされている

相手がしている

私は選べない


って思ってるより

だいぶと楽になると思うんだウインク



のび〜♡