さて、古墳を見に行く前に少しお勉強(というほどのものでは無いが、こちらの教養が不足しているゆえ…)。
先日、山川出版社の『日本史用語集』で、古墳が畿内では7C末、東国でも8Cには姿を消した旨、学んだ。
では、なぜこの時期を境に、古墳が築造されることはなくなったのか?
 
それはあの有名な『大化の改新』と関係がある(ひょっとしたら日本史の授業で教わったのかもしれないが…、まぁ昔のことですので)。

大化2年に「薄葬令(はくそうれい)」という法律が出される。これは身分に応じて墳墓の規模などを制限したものである。

時期的に当然、大化の改新の一環であり、これ以降、墳陵は小型化し、古墳時代は事実上終わりを告げる。

 

なぜ、中大兄皇子ら当時の政権は、古墳の築造を禁じたのか。これは、大化の改新の目的を考えると、自ずと理解出来る。

唐をモデルとした、律令制に基づく中央集権体制を作り上げるための一連の施策が大化の改新である(あくまで、ざっくり言って)。

そんななか、これまでのように、地方の豪族が、その自らの権勢を示すために巨大な墳丘を作ることは看過できない。

そのように考えたのだろう。

 

さて、そんな古の時代の権勢の象徴であった古墳、本日は東京に現存する古墳の中で、最も重要なもののひとつと位置付けられている古墳を見に行くこととする。それがこの「野毛大塚古墳」である。

この古墳周辺は、世田谷区の「玉川野毛町公園」として整備されている。

 
全長82メートル、直径66メートル、高さ11メートルの円墳に小さな前方部が付いた帆立貝式古墳。5世紀前半のもの。
確かに大きく、そして存在感がある。この日は休日だったこともあり、公園を訪れた親子連れが何組も墳頂まで登っていた。
 
 
墳頂では、4基の埋葬施設を図示。多くの副葬品が出土しているそうな。
 
墳頂からの眺め。

実はこれまでも、幾度かこの公園には来ているし、ここに古墳があることも承知していた。
それでもやはり、目的意識を持って見てみると、まったく見えてくるものが違うんだなぁ、ということをしみじみ実感。