電子図書館 | カメラと自転車が好き(#^ー゚)v

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ニコンD40&D90とV1、リコーGR DIGITALⅡ&CX4を相棒に折り畳み自転車・Brompton(ブロンプトン)M3Rで色んなところを散策しています。 時々ホンダの小型スクーター、リード110でもお出掛けしたりします。

こんにちは。

今日までがお休みって方も多いのではないでしょうか?
お正月休み、皆さん、ゆっくりと過ごすことができましたか?? 


同じ日産NOTEに乗っておられる julaさんの検索に関する記事 「Googleがリスティングやマッチングで、適性診断するようになったら?」(1/6付け記事)は非常に興味深かった。自分も少し興味があったので楽しく読ませていただきました。

そんな中ちょっとタイムリーな話題がありました。 読売新聞の今年の大型連載「日本の知力」の記事です。
今日の朝刊一面でそこに紹介されているのは「電子図書館」についての話題でした。

現在、東京都港区の慶応大学にて、慶大所蔵の古書を図書館地下室にてデジタルカメラで撮影、データ化しているという。
それこそ昔の「写本」と同じように一ページ一ページを手でめくりながら撮影、大学では独自にすでに約10万ページを電子化したという。手抜きが一切できない地道かつ相当な準備&時間をかけての作業であろうと素人ながらに容易に想像がつく。高校生の時は3年間図書委員を務めた経緯もありこういう話題にはワクワクさせられる。

この慶応大学は昨年、アジアの大学では初めて米国「グーグル社」との提携を決めた。

「グーグルブック検索」 は米ハーバード大、英オックスフォード大などと提携、1500万冊以上の電子化を睨んでいる。

この記事にはさらに太古の書物に話を膨らませてゆく。
書物はいつの時代も知の結晶とされた。そのため「できるだけ多くの書物を集めたい」という思いは人類の歴史と同じくらい古い。たとえば古代エジプトではアレクサンドリア図書館 が良い例だ。 
古代のファラオ達は知を求めることが地上を支配する事と考えたのだろうか。

「グーグルブック検索」はこのアレクサンドリア図書館の現代版と言えると語る。

慶大のプロジェクトを統率している教授も「過去の英知と現代の知を結びつけ、新しいものを生み出すことが出来る」と述べているし東大のとある教授は「グーテンベルクの活版印刷術以来の革命だ」とブック詮索に大いなる期待を込めて鼻息が荒い。

ブック検索はオンラインで書籍の内容を見ることができる(著作権切れの書物ならば全文無料!)という大変便利なものだ。
確かにグーグルのこの計画は多大の影響をもたらすと言えそうだ(実際わたしも昨年このサービスが始まったときには早々にアクセスしその内容に驚愕した)。

記事はさらにこう進む。
---ここからが非常に共感を覚えると同時に新たに考えさせられる事となった--
大まかにまとめると以下のとおりだ。

ネットが米国で商業化されてわずか数10年。
人類の知の最先端に躍り出たかのようにも見えるが、ネット検索が万能視される風潮には警告の声も増えている。
先の東大の教授は「検索で得られる情報は知ではない」と述べる。
「知は構造化され、体系性を持つ」からでありネット検索は細切れの回答しか与えないからだ。
「我々は図書館に何度も通い、横並びの図書(つまり情報)から知識の“地図”を頭の中に描いて理解を深めて来た。
それが学問につながった。検索技術の進歩で“森”の地図が描けなくても“りんご”を入手できるようになった。」

確かに電子図書の時代は来るだろう。そうなると家に居ながらにして世界中の知を見ることができる。確かにそれはそれで素晴らしい。ただ、「知」は本質的に人の交流から生じるとも言える。
ネットに依存する中で、人と人との思考のやり取り、そこから得られる知的刺激や興奮が失われるならば、結果的に想像力が失われるのではなかろうか。

少し考えさせられたのはわたしだけではないはずだろう。