一皮むける“自分軸”の確立法 -7ページ目

本気だろうか。必死だろうか。

こんにちは。

自分大好きサポーターの“やまま”こと山口雅史です。


一皮むける“自分軸”の確立法


ここ3日間、

久しぶりに続けて記事投稿をしました。


ちょっと驚いているのは、

アクセス件数です。


私だけじゃないのかもしれませんが、

件数が異常に多いのです。


“異常に”というのは、

アクセスしてくださった方に失礼かもしれませんね。


ただ、ただ、

ちょっと驚いています。



この火を絶やさまいと、

中途半端な時間ですがブログを書こうと思い立ちました。

(いつもは朝と決めているんです)


似通った言葉でも、よくよく見つめてみると、

かなり違っていることに気づく言葉があります。


私にとっては、

“本気”と“必死”もその一つです。


どちらも一生懸命に何かにとりくむときに

使う言葉です。


本気でとりくむ。

必死でとりくむ。


どこが違うの?



私の感じ方をお伝えしましょう。


私は自分がしているセミナーで、

環境変化と自分のかかわり方について、よくお話します。


主体的な姿勢とは、

自分をとりまく環境に対して、

自ら選択をしながらコントロールしようとすることです。


私は、こういう状態を

“本気”という言葉で表現します。


一方、見え方としては、同じように見えますが、


与えられた環境に、

なんとかついていこうとするとりくみのことを

“必死”という言葉で表現します。


要は、目的が違うんです。


“必死”は近視眼的。

すなわち環境についていくこと自体が目的で、

それだけで精一杯といった感じです。

アップ、アップなんですね。


“本気”の方は、

環境を自分の意思でコントロールするだけでなく、

その行為の向こうにある理想のようなものが、

見えているような気がします。



私は、断然“本気”が好きです。


けど時には、

必死でついて行かざる得ない時もあります。

無理をする必要がある時です。


たとえ無理から始まったとしても、

その向こうに“本気”があると知っているのなら、

いつかは余裕がもたらされ、そうなるチャンスは開けているはずです。


今、私のとりくみは、


本気だろうか。

必死だろうか。


こんな問で、自分と対話するのも悪くはないでしょう。

環境に対してとろうとしている自分の姿勢が、見えてきます。


今日も、最後までお読みいただき

ありがとうございます。