あっ、ありました・・・

昭和54年 1月1日号 の『広報さくら』に親父が…。


広報を調査しながら
『なんか昔に、同い年の菊間市長さんと
  対談した・・と、言っていたような気が…して…』

過去のものを確認してみました。
そしたら何と、あったんです。


1979年・・・
この年は、矢沢永吉さんが歌手部門で
所得番付1位になった年だったと記憶しているんですが・・・
(間違えていたらごめんなさい。)


何々・・・

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『夢は、印旛沼を競艇場にして、 佐倉市の財政を富ませることです。

ほっほ~~・・・。
そうですか・・・。35年前に・・・


それから、それから・・・

『一番感じたことは、広い佐倉市に、基盤となる産業がないことでした。』

ふ~ん・・・。
僕が、11歳の頃、親父は親父なりに佐倉のことを考えていたんですね。


『この世に人と生れたことの意義を十分味わって、
六十歳を迎えることになりました。』 と、ありますが
この年の五月に、五十九歳で亡くなってしまいました。



佐倉市の財政を富ませることです。

同感です…。『印旛沼競艇』 面白いかもしれませんね!?


江原台に新駅
日本一長いターザンロープ
水上マーケット    ・・・etc

無理と決めつけないで取り組むのが成功への第一歩と信じて・・・

基盤となる産業
  ちょっと難しい・・・。

また明日。








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