先生あのね、

この間の診察が最後になるなんて思ってなくて、
診断書が出来たらもう一度呼ばれるのかと思いこんでました。
だからきちんとお礼を申し上げる事もなく、
じゃあまた。みたいな軽い感じでサッサと出てしまった。
事務の方が持っていらしたのを見て、あー、もう終わりだったんだ‥‥としばし茫然としてしまいました。

という訳で悪筆ではありますが、
何十年ぶりにお礼方々ラブレターなど書いてみたいと思います。


私は本当にラッキー幸運でした。
Y先生にポリープを見つけていだいたこと。
そして先生に繋げていただいたこと。
とりあえず切っておいた方が良いだろうってした手術でリンパ節に転移がわかったこと。
全てがラッキーでした。


最初は簡単に考えていたことがどんどん悪くなっていく事に、
私は運が悪いんだ、少ない確率の方にばかり転がっていくと悲観的な気持ちでいました。

抗がん剤治療後1年くらいは、
再発は無いにしても転移があるんじゃないかと怖くて怖くて。
そんな中でも、私のヘンテコリンな質問にも先生ははっきりと明確に答えてくださり、
先生の患者に向き合う真摯なその姿勢に、
『この先生に命を預けよう。
もしダメでもこの先生に預けると決めたのだから、その時はその時で仕方がない』と心に決めました。


ガンの前にかなり精神的に苦しい事があったので、その経験もプラスしてですが、ガンに罹患して私はすごく変わったと思います。今は良かったとさえ思います。
物事の考え方、人との接し方、全てにおいてが以前と全く変わりました。


それまでも当然、人は必ず死ぬとわかってはいました。
でも、貴女はガンですよ。ステージ3aですよ。と言われた時に、
本当に生まれて初めて『死』というものが現実味を帯びたのです。
それまでそんなに真剣に死ぬ事生きる事なんて、考えていたつもりになっていただけで、実は全く考えてなかったんです。

良いにつけ悪いにつけ『死』を意識すると、反対に『生』について考えるようになるんですね。
どう死ぬかについては延命措置はしないとか、死期は早まっても痛みは取ってもらうとか簡単に決められたんです。
問題はどう生きるかの方なんですよ。
考えて考えて考えて考え抜いて。
何年生きるのかはわからないけれど、同じ生きるなら笑って生きよう!
そう思ったんです。
人間だから怒る事もあるけれど、いつまでも負の感情に捉われずに、アハハと笑って生きたい。
そう考えてからすごく楽に生きれるようになった気がします。

ガンを罹患する何年か前は夫婦仲も最悪で、離婚寸前でした。
お互いに忙しすぎることもあって、お互いの大変さを思いやる心の余裕も全くなかったんですね。お互いに自分の辛さ大変さを主張するばかりで、相手はどうなのかなど考えようともしていなかった。
ガン発覚直前の出来事と私のガン罹患で、私も主人もお互いの存在の大切さを再認識し、お互いが笑って生きようと考え方を変えた結果、それまでの険悪な関係から、徐々にではありますが信頼関係を取り戻す事ができ、今は毎日楽しく過ごしています。
ガンになって良かったと言えるのは、今生きているから言える事かもしれないけれど、やはり私にとってはガンは貴重な良い経験だったと思います。少なくとも人生において悪い経験ではなかったと思っています。

ただ、つい先日私は間違っていたなと思う事がありました。

私はこれまで自分が大腸ガンステージ3であった事を近親者と後は何人かの言わなければならない友人にしか言っていませんでした。
保険の関係だったり、会社の関係であったりで言わざるを得ない友人にのみ。
比較的仲の良いママ友には2年経った頃にようやく言えたくらいです。
相手に変に気を遣われるのも嫌だったし、私自身が不安を抱えてるのに何ともないように振る舞うのも嫌だったからです。
抗がん剤治療後1年くらいは転移が怖くて怖くて仕方なかったのもあって、とても人様に言う気にはなれなかった。
それは仕方のない事にしても、その後3年もそのまま黙ってたのは間違いでした。

実は先日、今は疎遠にはなっていますが、中学時代に仲の良かった友人が大腸ガンで亡くなりました。

彼女のガンがわかったのは昨年1月で、診断時には既にステージ4だったそうです。
大腸ガンで亡くなったと聞いた後、彼女が便秘症であった事を思い出しました。
私と彼女には共通の友人(生命保険の外交員)がおり、その友人には私が大腸ガンのステージ3だと伝えていましたが、それを誰にも言わないでと口止めしていました。
誰にも知られたくなかった。たいして仲も良くないような人に気の毒がられるのがとても嫌だったから。

でももし私がそんなに頑なにならず、『私はラッキーだった。たまたま受けたカメラで取ったポリープがガンだった。早期発見が大事だと皆に伝えて。彼女は便秘症だから必ず行けって伝えて』とその友人に言っていたら。
先日亡くなった彼女がそれを聞いて、せめてステージ4が発覚する1年前にカメラを受けていたら。
彼女は53歳になったばかりで死ななくても良かったんじゃないだろうかと思うのです。

たらればの話をしても何の意味もないし、人の死もまた運不運があるとは思うものの、私が運良く助かったのは大腸カメラの検診があったからだともっと早くオープンにすべきだった。
自分の身内には検査を受けろと強く言って、結果、妹もY先生のお世話になり0期のポリープ切除で終わる事ができました。
でも私は、それをもう少し広くすべきだったと、痩せしまって、私の知っている彼女とは別人のようになった棺の中の、私が大好きだった彼女を見て猛省しました。
通夜で一緒になった同級生達には、自分はカメラで見つけてもらったから今こうしてる、皆も年頃だからカメラ受けとけと伝える事ができました。
生保外交をやってる友人にも私のことを引き合いに出してカメラを勧めてくれと言いました。身近な人の体験談はテレビの中の誰かの話より効果があると思うのです。

手術を受けた日に私は生まれ変わり、また新しい人生を初めから生き直していると思っています。
今はまだ何ができるのかはわかりませんが、運良く生かされた命なので、粗末にせず大切に楽しく笑って明るく生きようと思っています。

診察していただいた時にも何度も言いましたが、先生のユーモアにとても助けられ勇気付けられました。笑う事は大切です。
先生は誠実であり真摯であり、しかもユーモアも持ち合わせていらっしゃる。
偉い先生になられてもそのままの先生でいて下さいね。
また会いたいけれど、病院で会うのは困った事になった時なので微妙な感じですね。
もし何かあった時はまたストーカーと化し参上いたします。

4年半にも渡りお世話になり、本当に有難うございました。
どうぞこれからもお元気で、益々のご活躍を期待しております。

※サラッと診察終了して良かったかもです。
顔見て有難うござましたなんて言ってたら、多分抱きついて号泣してましたよ。危なかった。



思い掛けず2月で経過観察終了になった為、何のお礼も言わず診察室をあとにしてしまい、後日、先生宛に書いた手紙の下書きです。