メッセージャー44号のAKIRA さんのインタビューを要約抜粋してご紹介いたします!

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メッセージャー44号!



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メッセージャーの発行、編集、インタビューは、愛知県岡崎市のシンガーソングランナー杉浦貴之さん〔写真右〕
ぜひ、実際のメッセージャーを購入して、原文を読んでいただきたいです!





【AKIRAインタビュー「生まれてきた意味、そして使命」】

1980年代、20代の頃、ニューヨークで麻薬中毒、ホームレスを経験し、
世界100か国を旅し、どん底から目覚め、その波瀾万丈な人生を歌にして伝えているAKIRAさん。
2012年、胃がんというギフトを得て、どんなメッセージを伝えているのか?


【GUNを突きつけられても、命と向き合うことはなかったけど、
ガンを突きつけられて初めて向き合うことができた】

30年前、ニューヨークで麻薬の売人をやっていた。

自分も麻薬中毒でさ。
麻薬ギャングの世界って、もういつ殺されるか分からないわけ。
自分もピストル持ち歩いて人に突きつけたり、突きつけられたり。

もう、ガンになる前に20回以上死にかけても命と向き合うことはなかったけど、
ガンになって、変わったよね。

東日本大震災があったときブラジルのサンパウロにいた。
すぐ帰ってきて、そのまま宮城県にはいって、そこから被災地のライブを連続でしてた。

そのとき、9ヶ月の間に150本のライブをこなしていた。
三日に2本のペースでライブし空いた日はぜんぶ被災地に通った。

過労で、身体はボロボロに疲れてるのに、なんかやばい精神状態に入ってて、
自分は何かいいことやってる、人のために何かやってるからこれでいいんだって。
「自己犠牲の罠」って俺は呼んでるんだけど、どんどんボロボロになっていった。
それを一年間続けたら、宮城県の七ヶ浜でのライブ開始5分前に気持ち悪くなって、トイレで血を吐いた!

人生はネタだって思ってるから、もう条件反射でブログ用の写真とった笑
残酷画像ですぐに引っ掛かって消されちゃったけど…(^^)

そのあと、きれいに壁や床に飛び散った血も拭いて、何食わぬ顔で二時間のライブをやったよ

何度も血が込み上げてきて、バレないように飲み込んで、飲み込んで、歌い続けて。
終わってCDや本にサインして、最後のお客さんが出た瞬間に、倒れたの。

救急車で運ばれて、二週間くらい入院したのかな。
地元にかえって、検査を受けて、胃がんの宣告を受けたよ。

「リンパ節7箇所に転移しています。5年以内に10人中7人が死ぬ進行度です。ステージⅢです」

このとき、初めて自分は死ぬんだと思ったね。

「がん=死」ってイメージで余命宣告されたら、

もう思い込んでしまうから、体がそういうふうに働きだしてしまうよね

自分も「死ぬ、死ぬ、死ぬ」と暗示をかけて、

この体の細胞たちも「この人死にたいんだ」って、脳が全身に命令して、弱っていくようになっていったね。

でもある日、大きな転換期があったんだ。

それは「たくさんの人に支えられて、自分の命は自分だけのものじゃない」って気づいたときなんだ。


【何がなんでも生きてやる】
今まで、絵を描き、歌もつくり、小説も書き、いろんな人生を生きてきたから、
「もう後悔はないでしょう。もう死んでもいいでしょう」と最初は思った。

ガンの手術(胃の3/4を摘出)を受けて、ベットで天井を見てたらさ、いろんな顔が浮かんできたのね。

両親や、兄弟、親戚の顔が浮かんできて、
そのあと、友達とか身近な人がどんどん出てきて、
今度は名前も思い出せないような顔も次々に現れて…
気づいたらさ、枕の横がもうびしょびしょで…泣いてたんだよ。一時間くらいずーっと。

で…初めて「俺こんなにたくさんの人に支えられて今まで生きてきたんだ」と気づいたわけ。

ガーンって何かハンマーで殴られたようなショックを受けたの。

「自分の命は自分だけのものじゃなかったんだ」って気づいたんだよね。

それは俺にとって大きな転換期だったわけ。

「自分の命だからいつ死んでもいい」とか思ってたことが、いかに傲慢だったかって気づくんだよね。

無数の愛に支えられて生かされてるってことに気づいてから、

「いつ死んでもいい」っていうところから

「何がなんでも生きてやる」っていうふうに変わっていったんだ。


【治っていいんだよ】

『メッセンジャー』のバックナンバーをぜんぶまとめて、入院中、
もう最初から熟読して、それも繰り返し繰り返し読んだの。

それで、医者から与えられた病気のネガティブなイメージングの逆ができたんだよね。

「あ、こんな人が治ってる。こうやって治ってる」

っていうことを徹底的に自分の中にインプットして、
脳の中の内部情報が書き換えられていったの。

脳が「治っていいんだよ」というスイッチを入れることが、ものすごく大切なんだよね。

「あ、治っていいんだ、俺は」って思った瞬間に、体が、脳が、全身にそれを命令していくわけ。

『メッセンジャー』の存在は「命の恩人」と言っていいくらい。


【自分の力で治そうって考えに至った】
手術のあと、元ジャンキーで、世界中のあらゆるドラッグを試したから、
人類が生み出した極みのドラッグ、抗がん剤というものを試してみなくちゃと思ったんだ。
家でできる経口抗がん剤を二週間は受けてみたんだけど…やってみたらドヨーンとなってしまって、
生活はできるけど、ライブができないってことに気づいたんだ。

ライブっていつもの10倍も100倍もエネルギーを使って人に伝えるじゃん?
ドヨーンと重いから、やってもカラ元気になっちゃって、「これでは本気で伝えることはできない」って思って、
どっちが大切かと考えた

当然「抗がん剤は止めて、自分の力で治そう」という考えに至ったわけ。


【直感で、自分の責任でチョイスする】

俺のブログって、毎日だいたい一万人くらいが見に来てくれるから、
膨大ながんの治療、代替療法の情報が送られてきたの。

自分でも徹底的にネットで検索して、そこから直感でチョイスして、試していった。

自分にとって有効だったのは東京代々木駅前の「赤ひげ堂」という治療院に通ったこと。

あとはいろんな石を細かく砕いたのを敷き詰めた温熱ベット。
全身に熱がまわって、毎日1時間、汗だくになるまでやったよ。

それと、にんじんジュース!
「ピカイチ野菜くん」の無農薬にんじんをジュースにして一日二リットル飲んだね。
朝晩一リットルずつ。皮膚がもうオレンジっぽくなるくらい飲んだ。

それからモンゴル製の天然の重曹で、スーパーで買ってきたほうれん草や小松菜を洗って、
それを圧搾式ジューサーで青汁ジュースにして飲んだね。

体温も35.5度から一度くらい上がったよね。


【命の当事者になる】
俺は、今まで自分の歌の中で、人の命、あるいは感謝をテーマにした歌を歌っていたけれど、命の傍観者だったんだよ。
それが初めてガンになって、命の当事者になるわけ。
命の当事者っていうのは、病気を自分で治すものだって気づいた人。

その命を生かすも殺すも自分次第だって気づいた人。
で、その命の当事者になった瞬間に俺の歌も深みが増して、
今まで歌ってた同じ歌も、まったく違う次元に持ち上げられたんだ。



【感謝が渦巻いて、嬉しくて嬉しくて泣いた】
一年目は、それまでの半分くらいのペースでライブをしていったね。
ライブ会場で、本当に歌えることが嬉しくて嬉しくてしょうがないのよ。

お客さんも、俺が生き返って歌っていることが、本当に嬉しくて嬉しくてたまらない感じで、
それがまたこっちから感謝の気持ちになって返っていくわけ。

もう感謝が渦巻いて、螺旋を描いて大きくなってきて、泣きながら歌ってたよ。
最初のうちは、何度も何度もライブで嬉しくて泣いたね。




【感謝がわいてくる。】
それから、この感謝の気持ちも自然に湧いてくるようになったんだ。

朝起きて、はっ、息が吸える!おっ、目が開いた!
あ、足が地面に着いた!あ、自分の力で歩ける!自分でトイレにいける!
自分で飯が食える!あぁ、こんなに美味しい!
あぁ、今日も、太陽が出てる!

あらゆるものに感謝ができるようになったわけ。

今まで当たり前だと思ってたものが実は奇跡だったってことに気づいたんだよね。

「イヤイライケレ」って、アイヌ語で「ありがとう」って意味なんだけど、俺の口癖になったね。
起きてからあらゆるものに、出合うものに感謝するわけ。
外だと怪しい人になるから口には出さないでね。
もう、コンビニのビニール袋にさえ「イヤイライケレ」って言って、感謝しまくるわけ。
それがなんか、自然に心の中から出てくるようになったんだよね。




【自己犠牲をやめて、わがままに生きる】
「自己犠牲」をやめることにした。
もうわがままに生きようとね。
「わがまま」って漢字だと「我侭」とも書ける。

つまり、「我、人に尽くす」って書くんだよ。

たとえば、人に媚びて、作りたくもない歌をつくって歌っても、ちゃんと嘘をかぎ分けられてリスナーも喜ばない

で、わがままに自分が一番作りたいだけのものをつくって、
その部分集合と、リスナーが一番求めている部分集合とがくっつく一点があるんだよ。

ほんと、奇跡的な一点なんだけど、円と円が交わる一点があって、

そこを見つけた瞬間、「我侭(わがまま)」が
人に尽くすこととイコールになる瞬間があるんだよね。

それこそ、もうこれ以上ない幸せな瞬間。

自分が好きなものだけを作り続けて、それを聴いた観客が一番喜んでくれる…この奇跡の一点を見つける。



【努力っていうのはわがままに生きること】

で、最大限の努力はしなくてはいけない。

努力っていうのは、わがままに生きること。

人のために我慢して生きちゃだめ。

そういう人は、絶対に到達できないし、努力や根性や忍耐を求めてる人には到達できない地点だよね。

徹底的に自分がやりたいことだけを100パーセントやりつくして、

そして自分を楽しませることを100パーセントできた瞬間にそれが実現される。

で…それを伝えた瞬間に人も喜んでくれるという奇跡の一点を生きてる。

わがままに
やりたいことだけをやりつくして、
自分を楽しませる最大限の努力



【人に迷惑を掛けられるってことは、人間全体を信じるってこと】

人に迷惑をかけちゃいけないってずっと教えられてきたじゃん?

俺は「人に迷惑を掛けられる人間になりなさい」って思うんだよね

ってことはさ、「人間を丸ごと信じる」ってことなのよ。

みんな間違ってるのは、人の良いところだけを見てそれを信じる、

そしてその人が悪い面を見せたら裏切られたってなるでしょ?

そうじゃないんだよね。

人間って良いところも悪いところも全部、
悪もすべて含めて一つの人間という全体になってるわけ。

だから、人間の愚かしさも、ずるさも、矛盾も、

全部丸ごと受け入れて初めて人間を信じる、っていうのが本当の「信じる」っていう言葉なんだよね。

だから、いい加減に生きるってことは、実は最高の哲学なんだよね。



【究極の哲学は「手放しで喜ぶ」こと】

真面目に何かできるってことは、まだまだプロセスなんだよね。

すべてを手放しで喜ぶって、おそらく仏陀とかキリストとか、全ての聖人たちが到達した最高の地点だと思うんだよね。

その到達点っていうのは、不幸が起ころうが、不運が起ころうが、全てを手放しで喜んじゃう。

で…手放しで喜ぶってことはやっぱり、感謝するってことだよね。

手放しで感謝するってこと。

人生の八割が不幸って言われてるでしょ?

でも何でこの世に俺たちが生まれてくるかっていうと、その不幸を体験するためなんだよ。

乗り越えられない不幸は人に与えられなくて、
その人の魂レベルがそこまで成長したから与えられるものだと思うんだ。



【勇者の石:人は生まれる前に、自分が一生かかって運ぶ石を、自分で選ぶ】

これはインディアンのラコタ族の長老に教わった考え方。

顔も頭も良くて、お金持ち、何でもうまくいく…

これって日本で馴染んできた考えだと憧れの存在じゃん?

でも、インディアンたちの考えでいくと逆なんだよ。

障がいを持つ人、病気を持つ人、それは可哀想な人で、同情すべき人で、社会的弱者であるって日本では捉えられてきた。

ところが、インディアンの考え方だと、その人たちはそれを自分で選んで生まれてきた魂の勇者。

普通の人間では運べないぐらいの石「勇者の石」を選んできたと考えるんだ。

この考えを沢山の人に伝えていきたいなと「勇者の石」という歌を作ったんだ。

↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=4iELaD16x2g


だから、
【大切なのは現実ではなく、その現実にどういう意味を自分が付けていくか。】

それで世界はまるっきりひっくり返るからさ。

自分は魂の勇者だったんだって気づいた瞬間に大きく変わると思うんだ。

自分の人生を生きればよかった生き方から、
人に伝えるメッセンジャーに変わる瞬間だよね。

サバイバーたちは自らの生き方を通して、生きる喜びを伝える使命があると思うんだ。

もちろん病気じゃない人もメッセンジャーなんだよ。本当はね。

俺にとってはより明確にそれを教えてくれたのは病気だったよね。

だから本当に心から病気に感謝してる。

これがなかったら、すごく薄っぺらな命の傍観者で一生終わってしまったかもしれないから。

現実にどう意味付けをして、幸せに、人に喜びを与えながら生きていけるか。

ガンを抱えながらも、共存しながら、このギフトがあったお陰で自分はたくさんのことに気づけました、自分が生きてることを、瞬間瞬間、感謝できるようになりました…と気づける方が一番深い、今回生まれてきた人々に共通するミッションなんだよね。

生きてる奇跡に感謝できるかどうかが、「生き(のび)ようが、死のうが」試されてるミッションなんだと思うんだ。



【この世にはプロセスしか存在しない】
インディアンの長老がいうには、「お前の到達する目的地はこの世にはない。
その代わり、お前が目指して歩んでる一歩が、虹の戦士そのものだ」っていう。

だから、結果っていうのはこの世に存在しない、プロセスしか存在しないわけ。

だったら、そのプロセスを、どれだけ感謝をこめて、喜びを込めて生きられるか。

それしかないんだよね。

結果でさ、「ガンが治りました」「治りませんでした」「年収一億になりました」「なりませんでした」
って決めてしまった段階で、その人はプロセスを殺してしまって、今を生きることができない。

過去も、未来も共同幻想で作り上げられたものでしかないんだ。

あるのは、花火のように連続する「今」だけなんだよね。

今を見殺しにして、未来に夢を預け、過去に縛られる生き方をしたら、いつになっても永遠に幸せになれないよね。



【今までも、この瞬間も、そしてこれからも幸せだったんだ】
生きていること自体が、100点満点だ
そして、それが幸せなんだって、気づいた瞬間、
長老の言われるプロセス、つまり「今」を生きるということが理解できたんだよね

今、ここにある、この一瞬を最大限に楽しむこと
それしかもう、人間にできることはないと思う。



【無駄なことは一切したくない】
不安はまったくないね。
オマケの人生もらったから、もう無駄なことは一切したくない。
自分が本当にやりたいことだけを100パーセントやって生きると思う。
それが人を喜ばすことだからね。

「我、人に尽くす」、「我侭(わがまま)」に生きる。

それを、一生やり抜くと思う。



【これまで起きた出来事、出会った人々、すべて
今の幸せに繋がっている宝物】

『メッセンジャー』のホノルルマラソン特集を何度も何度も読み返して、俺も出ようと思ったわけ。

2013年「第三回がんサバイバーホノルルマラソン」に出るって決めたら、
俺、準備は徹底的にするんだよね。

決めた時点でホノルルマラソンは始まってるから、その【プロセスも最大限楽しんじゃう精神】なのね。

自分にあった最高の靴や、GPS付きのマラソン専用のウォッチ
パンツもこだわったりしてね、まずは形から入る。

日本中をライブで回ってるから、その場所場所でランニングコースを探して走ったね。
それがものすごく幸せでさ。
いい感じで仕上がっていったよ。

実は、ハワイは自分がジャンキーだったときに、麻薬中毒から回復させてくれた癒しの地なんだよね。

30年前、ハワイのカフナというシャーマンに出会って、
ハワイの伝統医学によって自分がヘロインの麻薬中毒から回復できたんだ。

そしてジェットスキーのインストラクターになって、ハワイで毎日、
イカダに乗って、海の上で8時間一日100人近い観光客にジェットスキーを教えてたよ

前はジャンキーだったから、骨と皮だけで血管中に全部かさぶたができてて、注射ダコもあった。
それが、真っ黒に日焼けして、ツルツルの肌で、ムキムキになって。
ニューヨークに帰っても、誰も俺のこと気づかないぐらい
ハワイは俺を元気にしてくれて、癒してくれた島

ハワイで薬を完全にやめられて、そのあと30年間まったくドラッグはやってないんだ
その地に30年ぶりに戻ってこられたのは本当に嬉しかったね。

ホノルルマラソンで、前を走ってたおばあちゃんがヨロヨロしてて、パタッて道に倒れんだ
そのおばあちゃんは75歳で、70歳までにフルマラソンを5回完走してた人。

「今回、75歳で5年のブランクがありながらもホノルルマラソンを完走するのが夢だった。
でも、私は、自分の体力の限界に気づいて、もう走れないし、歩けないし、夢は諦めます」って言った。

俺はこの日のために一年間トレーニングを積んできたし、
自分の記録を優先して「あ、そうですか」っておばあちゃんを置いていくこともできた

でもやっぱりおばあちゃんの夢を一緒に叶えたいなと思って
「じゃ、夢を一緒に叶えましょう!」って、
おばあちゃんの肩を抱えながらも走ることにしたんだ

一緒に走った三人で交代で、おばあちゃんの肩を抱えながらずっと歩いて、七時間くらいでゴールしたんだよね。

歩いてる中で沿道から、ものすごい拍手を浴びて、自分なんかオマケなくせに、
超ラッキーなお得な喜びを感じさせてもらったよね。
ゴールしたときも、またまたみんなから大拍手で迎えられて…。

自分の記録のために走ったら、自分だけの喜びだった。

でも、我侭におばあちゃんを助けたら、おばあちゃんも完走できてハッピーになって、
俺もありえない喝采を浴びてハッピーになった。

【自分が我侭に生きることと、人が喜ぶことが、まったくイコールで繋がった。
それが自分も含め、みんなを幸せにする】

ってことを、
改めて、このホノルルマラソンで認識したよね。

あのとき出会った人たちは、本当にかけがえのない仲間。

これまで起きた出来事、出会った人々、すべて今の幸せに繋がっている宝物だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


我侭に
自己犠牲ではなく
我侭に生きる

やりたいことを
好きなことを
100パーセントする

もうやりたくないことにエネルギー使うのもったいない!

生きてる奇跡に
感謝溢れて

今!という人生のプロセスを最大限楽しんじゃおう!

我侭とは、我、人に尽くすこと



そんな生き方、在り方を見せてくれるAKIRAさんのライブに、どんどんいってほしい。

人生が変わるには、どんな人に出会うか、
だと、私は思う!

在り方を、学ぶには
素晴らしいと感じる人に、生で触れる時間を増やすこと!

私はAKIRAさんに出逢えて、AKIRA歌を聴きまくり、歌いまくり
そしてAKIRAライブに行きまくって、どんどんこのAKIRAさんって存在から
在り方の恩恵をいただいてますよ。

だから、ご縁で出逢えた皆さんとご一緒に、出会いの感動を、生きてる奇跡と喜びを、味わいたいんだ!

そして、私がAKIRA ライブから学んだこと、感じたこと、どんどん分かち合っていきますね!


AKIRAライブで、あなたに出会える奇跡を楽しみにお待ちいたしております♪

そして、AKIRAライブで、みかんの歌うAKIRA歌を聴いてくださった方に

「やっぱり、みかんさん歌は、生で聴くのが1番イイですね!
キラキラしてて、元気いっぱいもらいました!ありがとうございます!」


って、言われます


どうやら、ヘタウマ代表のみかんの歌は、生でしか伝わらない何かがあるようですよ。

これは、AKIRA ライブにも、言えます!

ぜひ、youtubeだけで聞いたつもりにならず、ライブに足を運び、

生のAKIRA歌、生のAKIRAトーク、生のAKIRAさんて存在に触れてくださいね〜♪

AKIRA さんのブログはこちら http://s.ameblo.jp/akiramania/


で、みかんの歌うAKIRA歌も、生でぜひ聴いてみてください〜♪

もし、生で聞いた方は、ぜひ、嬉しい感想聞かせてくださいね。
勇気出ます。

出会ってくださったみんなー♪
ありがとう〜!
大好きだよー!

心を込めて


AKIRA歌を歌う人
にこにこ◎^∇^◎みかん♪でした〜!




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福岡ライブで、初サインさせていただきましたー♪  わぁーい☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

サイン第一号は、35年間、岩戸神楽を伝え続け、阿蘇と熊本で企業整体をされている久保田ヒデさん!
ありがとうございます(*^^*)



追記
【AKIRAさんのインタビュー抜粋紹介】

ようやく、一週間ぶりに帰宅〜!
九州ツアーでお会いした皆さん、ありがとうございます❤️

福岡ライブで、幹ちゃん(中山 幹治さん)からの、ハイボクジャンケンのプレゼントが、メッセンジャー44号でした!

ハイボクプリンセスの、ユカリさんに「本当に素晴らしいインタビューが掲載されてるので、コピーして、いろんな方に紹介してほしいくらいの内容ですよ!」とお伝えしました

で、あれ?
確か私も昨年、AKIRA(杉山 明)さんのライブを初主催したとき、メッセンジャー44号のインタビュー抜粋紹介したよな??
と思っていたわけ。

したらさー、のれん分けプロジェクト関係で
AKIRAさんからコメントなしのメール転送がありまして★

そんな事情で久々にgmailをあけて
何の拍子か、保存下書きメールに、まんまと、
そのときの要約抜粋記事があったのよね。

ガラケーから、スマホに変わるとき、残しておこうと思って、gmailに転送しておいたヤツかもね。
もう、忘れてる 笑

つまり、こ、これは、このタイミングで、
九州ツアーの報告より先に、
メッセンジャーの要約をアップしろってことか?

というわけで、直感というか、流れのままに、
メッセンジャー44号のAKIRAさんのインタビュー要約抜粋記事を、ご紹介しました。

メッセンジャーは、愛知県岡崎市の癌サバイバー、シンガーソングランナーの 杉浦 貴之さんが
発行、編集、インタビューをしています。

ぜひ、問い合わせて購入して、インタビュー原文を読んでねー!

メッセージャー(年3回発行)
定価350円
電話0564-64-2916です

ちなみに、要約抜粋記事の許可は
昨年すでにいただいています。

来年、もしかしたら、杉浦さん主催で
AKIRAさんとのコラボライブが実現するかも?らしいので
お楽しみにー!

神さまのおもちゃは、
全てを手放しで喜ぶ!

心を込めて
にこにこ◎^∇^◎みかん♪でした