家が軋むのは古いから?と思うけど、やっぱり息子だと思う。だって私の側でしかならない。
窓枠は水滴があったりシャッターの軋む音かなとも思うけど、天井とか息子だよね?
だとしたら、それ言語化してくれないかな?
最近、お線香をオシャレにお香にしたらどうかなと思って金木犀のお香を買った。
でも私には合わない匂いでした
金木犀ってこんな匂いだっけ?
泣きながらも綺麗なセットを色々買ったけど…
高いお金出して「仏具」を買うよりも、雑貨屋さんのガラスのキャンドルホルダーや綺麗なお皿とかでも良かったかもしれないと最近思う。
お寺やお経も当たり前のようだけどこれも宗教なのだし、必要なように言われてるけれどビジネスが絡んでいるのも否めない。
だって、何を言われても救われないもの。
息子がお経で喜んでる?聞いてるこっちだってしんどいよ。子どもの頃も長くて嫌だったなー。
◯◯だと報われないとか、未練がとか、なんか言うこと全部暗いんだよ。
お空はもっと明るくて、身体という入れ物がなくなっただけで魂は永遠で暗いものではない。
そっちを広めてくれるならまだしも、成仏するとかしないとか、色々と納得いかない。
これも昔からの疑問に思う癖なのか?
でもね、世の中の事も疑った方がいいとコロナ禍が始まり最近強く思う。
なんかお香の話からどんどん話がエスカレートしていったけど…
成長をずっと見ていけると信じて疑わなかったのに、いなくなるなんて、当たり前が当たり前ではなくなった。
だから、当たり前なんてない。
お空の世界も色々。
思ったように世界は映ると思う。
だから、泣いても泣いても、笑っている子どもたちを想像していきたい。
何をどうしたって子どもたちはお母さんが大好きで、なーんにも怒ってなんかいない。全部許してくれてるよ。
やっぱり蠍座新月と部分日食の影響なのか、ぎゅーっと苦しかったのが少し治ってきた。
寂しいのは変わらないけれど、少しでも浮上出来た時には、もっともっと息子を側に感じて安心させてあげたいなと思うのでした。